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第488回●2012年4月29日(日)

 内海七島をご存知ですか?」 

 先日、70代の母からとても興味深い話を聴きました。

 皆さんもご存知のように、現在の高知市の市街地はほとんどが昔、海底でした。
昭和10年に四国山地を越える土讃線が開通するまでは、高知はまさに陸の孤島でした。それまでは船で他県と行き来していたのです。

  平安初期、紀貫之が書いた土佐日記の一節には、「大津より浦戸をさして漕ぎ出づ。」とあります。高知市の東部、大津の船戸あたりから船出したのです。浦戸は今の桂浜のあたりですね。

  その頃現在の市街地はほとんど海でした。その中に、「内海(うちうみ)七島」と呼ばれる島々が浮かんでいました。七島とは、大島(五台山)、田辺島、葛島、比島、洞ヶ島、竹島、玉島の7つです。今はそのうちの6つまでが市街地になり、現在も島なのは浦戸湾の玉島だけです。日頃はこうした地名に何も感じていませんが、そう聞けば確かに島だったのだなあと思います。

 昔「大島」だった、五台山。高知県中央部、浦戸湾奥の東側に位置する標高138.8mの山です。北側の絶海(たるみ)池は当時の海水面の名残と言われています。

きっとこんな風に、海に浮かんでいたんでしょうね。

 五台山の山頂から見た、北側の景色です。右の方にある小さな緑の山が紀貫之が船出したという、鹿児(かこ)岬の跡です。その奥が昔の国府の跡です。鹿児とは水夫のことで、このあたりに水夫たちがたくさん住んでいたのでしょう。左真ん中の山は高須で、その奥に小さな田辺島が昔の名残をとどめています。
 こちらは七島のうち唯一残っている島、玉島です。浦戸湾にぽっかりと浮かんでいます。狭島(さじま)という松とお宮の風情ある島もあったそうですが、フェリー航路を作るために爆破されたそうです。ところがそのフェリー航路も今は撤廃され、残念なことです。

  浦戸湾の河口には東に大津、中央部に中津、西に小津という港があったと分かる地名が残っています。「津」とは港のことなので、大津には大きな港があったわけです。今は大津バイパスで名前が通っていますね。小津は小津高校がある、高知城の北です。では、中津とはどこでしょう?

 実は中津とは、現在の愛宕山を指すのだそうです。イオン高知のすぐ西側の山です。これも初耳でした。愛宕神社が山の上にあります。

 古くからの「島」が付く地名には神社が多いようです。それだけ歴史があるからでしょうね。
五台山には竹林寺、田辺島には鹿児神社、洞ヶ島には洞ヶ島神社、玉島にも玉島神社があります。比島は今は山が削られ大きなマンションが建っていますが、調べてみると東北に四つも神社があるというのでびっくりしました。

 「津」「池」など「さんずい」がつく町名は昔水辺だった名残なので、大雨や津波で浸水しやすく心構えが必要だと母が力説していました。確かに以前は台風に対してだけ用心していましたが、今は地震対策も視野に入れなければいけません。そのためには、こうした町の成り立ちも知っておく必要があるなと改めて感じました。

 
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