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ウィークリーN
第84回●2004年6月20日(日)

「嵐の前の・・・」

 

暗い空

庭の木々が風にざわめく。台風6号が接近している。
空はどんよりと重く、いかにも嵐の前といった雰囲気である。

 台風が近づくと、気が気でない。夫なぞは私のことを「タイフーン・ハイ」だと言う。要するにめちゃめちゃ神経が高ぶってしまい、何よりも台風情報が優先するようになり、チャンネルをあちこちに変え、ニュースを追いかける。その様がまるで興奮して喜んでいるように見えるらしいのだ。(もちろん、そんなわけはない!)

 1998年、高知市はいわゆる「高知豪雨」により、高知市東部が海のようになり、ひどい箇所では2階まで水没した。
私の家は幸い床下浸水ですんだのだが、水が上がってくる時のあの恐怖感は、何とも言い表せない。それから数年は大雨のたびに、トラウマで動悸がしたくらいであった。

 そもそも30年近く前には、高知県は台風常襲県だった。私が学生の頃には、毎年台風シーズンになると一種独特な雰囲気が街を支配した。家々は雨戸を堅く閉め、スーパーは非常食や防災グッズ、乾電池などが飛ぶように売れ、人々は高知放送の台風情報に釘付けになる。

 なぜ高知放送かというと、高知放送は高知で一番古い民放であり、台風に対する対応が、最も蓄積されていたのだ。NHKだって古いのだが、いかんせん全国放送の悲しさ、5年前後で職員が転勤するため、防災のノウハウがいっこうに蓄積されない。

 それは台風中継を見れば一目瞭然だった。NHKは桂浜から、波が高い映像を送ることが多かったが(観光案内じゃあるまいに)、高知放送は高知地方気象台に詰め、予報官に張り付いて天気図の前でぶっ通しで放送する。途中、市内のあちこちから緊迫した映像が入る。○○川の水位はもうここまで来た、中心繁華街が水没し、人々が膝下まである水をかき分けながら歩いている、など。(ちなみにこういう場合、土佐弁には絶好の単語がある。「ぞぶる」。水の中を、ざぶざぶとかき分けて歩く様を実に良く表現していると思う。)

 私が高校生の頃までは、よく停電もした。そのため、懐中電灯やろうそくも常備し、ゴーゴーという強風にガタガタと揺れる家の中で、身を潜めるようにして嵐が通り過ぎるのを待ったものだ。朝はニュースで臨時休校情報が流れる。自分の学校名をチェックし、「やったぁ、休みだ!」と喜んでいるが、そのうち停電になり、灯りが消えて冷蔵庫も止まりTVも見られなくなり、ラジオの台風情報のみが頼みの綱となると、さすがに不安感が高まる。その非日常感たるや、半端ではない。

 昭和51年9月、台風17号の時には豪雨は六日間続き、高知市は川がことごとくはんらんし、全市水没した。当時の坂本市長は全市民に非常事態宣言を出した。「みなさん、避難命令・勧告の有無にかかわらず、危険を予測したらすぐに避難をしてください」とラジオで呼びかけたのだ。つまり「自分の身は自分で守ってください。」という、有名な高知市非常事態宣言である。警察も消防も、もはや無力だった。大自然の力のものすごさを、嫌というほど思い知らされた経験だった。

 ああいう体験をしていると、その苦さは忘れられない。台風が近づくと台風情報に神経質になるのは仕方がないだろう。今度の台風6号も、どうか無事に被害が無く通り過ぎてくれますように・・・、と祈らずにはいられないのでした。

 
 
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