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ウィークリーN
第97回●2004年9月19日(日)

「青春の光景と、親と子の歩く道」


初秋の校庭で
  今日は次女の中学校の体育祭だった。
天気予報は雨のち晴れ、ということだったんだけれど、なんとか雨もぱらつく程度でしのぎ、午後からは強い日差しも回復。

 ただ、惜しくも次女のクラスは4クラス中3位という成績で終わってしまったのだけれど。
 

 閉会式も終わり、1・2年生は後片づけに入ったが、3年生は自作のパネルの前に応援団を中心に集まり、最後の応援合戦を繰り広げる。「いけいけ○組ーー!!」優勝した組も、そうでなかった組も、頑張った証のように。仲間同士声をかけ合い、涙を拭きながらエールを行っている。どうやらこれは、今や学校の伝統になっているようだ。
 
  その光景は、初秋の夕暮れが近づく空の色をバックに、校庭の片隅でなかなか終わらない。
リズムに合わせて叩くペットボトルの音が響く。最後の体育祭の時をいとおしむように…。

 次女も応援団のメンバーになったため夏休みから学校に集まり、応援の練習や打ち合わせを重ねてきた。朝練習にブツブツ言いながら(でも遅れて)出かけていったものだ。しかし、頑張った者たちだけが得られる充実感の涙に溢れ、3年生達はとても幸せそうに見えた。まさに、青春まっただ中の光景だ。

 振り返って、自分にもこういう光景があった、と懐かしく思う。
子供を持つと言うことは、自分の人生をもう一度早回しで体験することと似ている。特に子供が自分と同じ学校に通った場合などは、しばしば自分自身の体験とその場面がオーバーラップする。それは、懐かしさと甘さと、ちょっぴりほろ苦さのある、不思議な感情だ。

 親はしばしば子供に、あたかも自分自身の通ってきた道を確認するかのように、同じものを求めてしまうのかもしれない。子供が自分の仕事を継いでくれた親たちがときに見せる、「いやー、蛙の子はやっぱり蛙でねぇ」などと言う誇らしげで嬉しげな表情は、自分の人生の価値を子供達が認めてくれたゆえ、なのではないのだろうか。
 
  しかし、子供達は親が思う以上に、親の期待に応えようとするものだ。自分が望む方向でなくても、親に合わせようと頑張りすぎる子供もいる。あまり無理な指図をして子供達の自立心を損なわないよう、さりげなくサポートしてやれる親に、私はなりたいなぁ。

 そんなことをぼんやりと考えていたら、早く教室に戻りなさい、という先生の放送が流れた。太陽もしだいに西に傾いてゆく。楽しい時間は、必ず終わるものだ。
しかし、楽しい時を共有した仲間との絆は、いつまでも終わらない。

ゆっくりと、校舎に吸い込まれてゆく汚れた体操服の後ろ姿を見つめながら…
さて。
果たして私たちのクラスのように、君たちは30年間、毎年同窓会が開けるのだろうか?

 

   
 
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