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WEEKLY “N”|T医師のひとりごと|すずかの気ままにDO!
 
第4回●2003年5月 「 再び診療所勤務に」
   
 

小児科で研修後、松山との中間点、吾川村の診療所に赴任し、再び地域医療に取り組むことになりました。患者送迎バスを運行したり、保健センターが併設されていたりと村をあげて地域医療の充実を推進している所でした。(その後デイサービスなどの福祉施設もできました。)

私は、山間部(吾北村)で中学校まで過ごしたため、山々の眺めに半ば地元に帰ったような気持ちでした。外来診療・往診・健康教室・入院診療と多くのことを学んだのですが、一人暮らしや老人だけの世帯が多く、介護する人も介護される人も高齢で健康状態が悪化していったり、村で住むことをあきらめて高知市などに出て行くというような現実を目のあたりにしました。改めて、山の中で暮らすのは厳しいなあと感じました。

往診では、高知市内のように車で家の前までは行けず、山道を歩くこともありましたが、これなら得意!!なんせ、往復8キロの山道を小・中学校9年間通学していたのですから、へっちゃらでした。

子供達二人も地元の保育所に入り、楽しい生活を送らせていただきました。もう、吾川村を離れて10年以上になりますが、いまだに家族で参加し、楽しかった保育所での行事を思い出します。

ただ、障害をもつ長女の保育所入所には困難がありました。赴任当初から、入所をお願いしましたが「障害児は前例がない」と断られました。(他の町村に問い合わせたら入所が可能なところもありましたが、仕事柄地域を離れることはできませんでしたので、断念せざるを得ませんでした。)この頃は、長女の将来ことを考えると「車いすでの生活になるのか」「学校はどうなるのか」などとつい悲観的になり、夜中に眠れなくなってしまうこともたびたびでした。1年後、再度入所をお願いし、二転三転したものの何とか、4歳の時加配の保育士さんを付けてもらって入所することができました。当初は、家内が一緒に保育園に通っていましたが、その後長女も保育士さんと二人で過ごせるようになり、夏祭り・運動会・クリスマス会など楽しい日々を送りました。

運動会の鼓笛隊

保育所の子供達も、すぐに長女と仲良くなり、遊んだり介助してくれたりしていました。保護者の方々も当初は「障害児が保育所に入ることで、保育所のレベルが下がるのではないか」と心配していたようですが、入所して半年もたつと、「入ってくれて良かった。子どもがやさしくなった。」などと言ってくれました。長女は、結果的にその後養護学校に入学したので、健常児とともに過ごした唯一の貴重な経験になりました。

また、言葉については、「パパ、ママ」など数語しか言えなかったのですが、子供達からの言葉のシャワーを浴び、二年後、卒園する頃には「卒園式の夜は、パパとママが会に行くき、おばあちゃん来てね」などと言えるようになっていました。夢のような進歩です。親だけの子育てでは、とてもこうはいかなかったでしょう。

 村を離れる時は、家族で公私ともにお世話になりましたので健康教室でも挨拶をしたのですが、長女のことを話すときには感無量で、言葉に詰まってしまいました。
しかし 、数人の方から「実は私の身内にも障害児がいて・・・・」という話を聴かせていただき、励ましてもいただきました。人の優しさに助けられた赴任地でもありました。


 
 

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