第1057回 「ご縁に支えられた『追手前伝説』」
5月27日
今週の23日(火)高知新聞の「所感雑感」欄に、『追手前伝説』にまつわるお話を書かせて頂きました。
高知新聞社には、大変ご恩を感じています。『追手前伝説』の初版は昨年11月に出たのですが、12月に高知新聞の記事にして頂けたことで、初版が数日で売り切れになったのです。やはり地方紙の影響力はすごい!と痛感したことでした。
実は今回初めて知ったのですが、文章自体の著作権は私にあるので自分のブログなんかでこの文章を載せるのはOKなんだそうです。私はずっと、新聞社の依頼なので新聞社に著作権があると思っていました。
ただレイアウトの著作権は新聞社のものなので、新聞記事を写真で貼るのは基本NGだそうです。でも、文字が読めない程度に写真で貼るくらいなら構わないということで、上の写真はクリックしても大きくなりません。もちろん新聞記事へのリンクはOKですが、高新のWeb版には今回の記事は載っていないので。(記事の本文は、このコラムの最後に掲載しますね)本当に知らないことだらけで勉強になります。
今回の記事のご縁で、「江ノ口地区の地域コミュニティーで『追手前伝説』のお話をしてもらえませんか」との ありがたいお話を頂きました。来月には生涯大学でもお話しさせて頂きますので、嬉しい機会が増えます。本当に、こうしたご縁に支えられていることを実感している今日この頃です。
ということで、よろしければ記事の内容をお楽しみ下さいね。
ご縁に支えられた『追手前伝説』 筒井ジェーン典子
ご存じでしょうか?追手前高校の校舎は昭和6(1931)年、卒業生だった間組の小谷清社長が予算不足で大赤字を承知で建てられたことを。「名誉な仕事だから」と郷里に記念的建築物を残されたのですが、初めて知ったときその気概に打たれました。母校が何をしてくれる?ではなく、母校のために何ができるのか。それが私には『追手前伝説』でした。
昨年11月19日追手前高校の創立記念日に出版したこの本は、築91年の学校建築写真集に物語と資料を加えたものです。コロナ直前の同窓会ツアーで時計台などを見学しその素晴らしさに再び感銘を受け、貴重な建築写真を残そうと自社のホームページに載せました。すると神奈川の友人から「これは本にするべき」と強く勧められたのが書籍化のきっかけでした。
コロナの期間で研修講師の仕事が激減したのをチャンスに、自分が面白いと思えることに取り組みました。貴重な時計台、天皇陛下のお写真を納めた奉安殿、空襲の弾痕が残る旧貴賓室(校長室)など、生きた日本史の残る校内を撮影していき、半世紀前に聞いた「校舎の下には池がある」という伝説の真実を見たときには心が震えました。
原稿の締め切り後、友人が平和資料館「草の家」に空襲時の焼夷弾があることを思い出し、伺うと休館日なのに館長さんにお会いでき、焼夷弾を撮影。『高知の空襲』という写真集の焼け跡に残った追手前の校舎が強烈で、ぜひ転載させて下さいとお願いし、ご快諾頂けました。このご縁で、焼夷弾を屋上から投げ捨てて校舎を守った伝説の畑久治校長先生の話も掲載できました。本の制作は、地元のリーブル出版の方々が追手前高校の公式ブックを作る意気込みでご尽力くださいました。
そして11月19日、新聞に「追手前高校、登録文化財に」の記事が。偶然、国の登録文化財答申・創立記念日・出版の3つが重なったのです。なんてご縁でしょう!登録文化財をめざそうという動きは何年も前からなので、奇跡的なタイミングでした。さらに12月には高知新聞が『追手前伝説』を記事で取り上げて下さり、あっという間に本の在庫がなくなりました。恐るべし、高新!(笑)
すると「欲しいのに、手に入らん」、本屋さんの「僕らも困っちゅう」という声が届くようになりました。それがとても申し訳なく、第2刷を時計台から飛び降りるつもりで増刷しました。自費出版のため再び資金が必要でしたが、間組の社長の気概に憧れたことが原点でしたし、何より多くの方々から『追手前伝説』にご厚情を頂けて本当にありがたいことです。定価2千円以上する本を、半年近く地元本屋さんの週間ベストセラーランキングに入れてくださったこと。県外の友人に送ってくださった方々、新聞記事を売り場に飾って下さった書店員さん。本屋さんでのトークイベントも忘れられません。娘さんに支えられた90歳くらいのご年配の方から数十年ぶりの同級生、現役の高校生まで直接お会いでき、深く感謝申し上げます。
最新ニュースとしては、時計台の西面の壊れた文字盤が修復されました。校舎の鉄の窓枠も地震対策で交換されるため、12月から校舎は2年ほど覆われるそうです。でも、建築当初からの校友会室の窓枠は保存されると伺い、一安心。ともあれ追手筋から追手前高校の写真を撮りたい方は、今がお勧めです。