第1099回「音読の負荷で付加」

3月24日         中村 覚

地域のコミュニティー広場の掲示板に、シニアの方々の絵手紙が飾られていました。昔、祖母が折り紙をこういった場所で教えてもらっていたなぁと。祖母の作品は何度となく見たことがありましたが、今回のようにゆかりのない方の作品を見てみたいと思ったのは、これも年齢なのでしょうか。

色とりどりの花の絵の横に「嬉しいこと」と題して、日々の喜びを書き添えていました。「息子、娘、孫から電話があった時」「畑で収穫があった時」「スポーツ観戦をしている時」など。こういった感じで3~4人の方の作品が並びます。最後の方も同じような文を綴っていたのですが、終わりに「こうやって嬉しいことを拾い上げていると静んだ心が元気になる」と結んでいました。この「静んだ心」というのは本来「沈んだ心」と書くはずなのですが…。

でもそんなことを言って何になるのか。「静んだ心」と書く方が、この方の気持ちには添っていたのではないでしょうか。こんなふうに自分に合うようにあえて漢字を変換するのは、面白いなと思いました。

このことがあってから、漢字を変換する遊びをちょこちょこするようになりました。

「不可抗力」という言葉があります。これは天災など人の力では抵抗、防止することができない力や事態のことです。この不可抗力、字を変えて「負荷効力」としてみました。こっちの方がもっと身近で良い意味で使えないかと。

例えば、日々のカロリー摂取量を制限する。一定の運動量を日課としてこなす。こういったルールを自分に課すことも、負荷をかけているのだと思います。本当は食べたいだけ食べたいのに、実は運動するより部屋でだらだらする方が楽なのに。でも、筋力をはじめ適度な負荷をかければ、かけただけのことはあるわけです。

ただ 一定の負荷を自分にかけることはこれと言って何もしていないので「負荷効力」と言ったところで、全然、説得力がないわけです。ところが最近、たまたま適度な負荷をかける楽しみ?と出合いました。それが「音読」です。

最近、読んだ本に書いてあったのです。黙読から音読にすると読書中に働いている脳の領域が大幅に増え、結果、記憶力も良くなる、と。私は物知りになりたい!とは思いませんが、せっかく読んだ新聞記事や本の内容をこんなにも覚えてないかねぇとあきれます。もうちょっと覚えておけよと言いたくなるこのわだかまりと、本に書いてあることが結びついたんです。

で、音読の何が負荷なのかと言うと、第一に読むスピードが落ちます。なかなかはかどらないもどかしさ。これだけで十分負荷です(笑)そして黙読に比べて頭が疲れます。ちなみに本の中には音読は負荷をかけることである、の表記はまったくありません。音読をしてみた私の勝手な感想です。そしてこれも本には書いていないのですが、せっかく音読するなら滑舌良く読むよう心がけています。案の定 口の周りの筋肉も疲れます。だいたい20分ぐらい音読をすると 首から上が全部疲れる感じです。過剰な負荷は避けるため、あとは黙読に切り替えています(笑)

そんな時、黙読って、楽なんだなぁと。その証拠に気分の乗らない時に音読をすると詰まります。聞きなれない単語や言い回しの箇所ではよく詰まります。詰まるだけならまだしも、聞きなれない単語は知っている単語に変換して、勢いにまかせて読んでいる時もあります。

例えば本文に「被験者」と書いてあります。黙読する分には問題ありませんが、音読したら「被害者」と読んでいました。ニュース等で日頃から慣れている「被害者」に変換して、読みやすいように頭が楽をしています(笑)音読することで、勝手な違反をテキパキ取り締まることができます。楽な方に流れるんじゃない!だから疲れるんです。多分(笑)

で、音読の結果、記憶力は良くなったか?
それはもう少し気長に待ちたいと思います。