第1103回 「宿毛で震度6弱の脅威」

4月21日


(※今回の写真はこの地震とは関係ありません)

4月17日水曜日 夜11時14分、豊後水道を震源とするマグニチュード6.6の大きな地震が起きました。私は1階で片付けを終えて、寝ようとしているところでした。

グラグラ…と揺れ始めたときには「あ、地震だ」くらいだったのが、緊急地震速報が鳴り出し段々と横揺れが強くなり、あわてて寝ている長女の所へ。長女は自力で動けないため 物が落ちてこないか注意していると、やがて収まってホッとしました。体感的には15秒ほどだったでしょうか。夫もあわてて2階から下りてきて、テレビを付け「高知市は震度3か」と確認。続いて画面に「震度6弱 愛媛県愛南町、高知県宿毛市」と。

「えっ!?宿毛市で震度6弱!?」宿毛は昔住んだこともあり、仕事やプライベートでも訪れる大好きな町です。震度6弱…被害はどうなんだろう?知人は大丈夫だろうか?と頭をよぎります。しかし宿毛市は、高知市から高速を使っても2時間半はかかる場所。人口1万9千人でマスコミの支部はなく、夜で被害状況はわからず ニュースも映像を流せません。

すぐに、岡山の友人から「宿毛が震度6弱だったそうで、高知市は大丈夫?」とLINEが入り「夜も遅いし大変だと思うから、これは読み捨てにしてね」との心遣いに感謝。続いて神奈川の友人からも心配のFace book メッセージが来て「ありがとう。大丈夫」と二人に返信しました。こうして電話以外ですぐに連絡できるのは、通信障害が起きてないからこそ。そのまま流れで、Face book を見ることに。

すると「高知の皆さん、大丈夫ですか?」というスレッドができて、県内各地から次々と情報が返されていました。「土佐市は大丈夫です」「馬路村はまったく揺れてないです」「四万十市は大丈夫」「土佐清水です、すごく揺れました」「宿毛です。余震がくるたび震えます」…もちろん、細かい場所や住居によって違うでしょうが、テレビの震度速報とこうした声とで、大まかですが県内の様子に触れられました。こうした時に情報を得られると心理的に落ち着けるのだと実感しました。

翌朝。午前1時から気象庁の会見があり、今回の地震について情報分析をしていました。
「これはプレートの中で発生した地震。プレート相互の運動で発生する南海トラフ巨大地震とは、そもそもメカニズムからして違うもの」という気象庁の情報や分析。これらをすぐに聞けると、少しでも冷静になれる心理的な効果があるのではと思います。

地元テレビ局スタッフは、夜のうちに高知市から140km近く離れた宿毛市に高速道路で移動、リポートしていました。今回は津波がなかったのが不幸中の幸いで、震源地に近い伊方原発も異常なし。停電・通信障害もないものの、塀が崩れたり街灯が倒れたりしている様子が映りました。避難所もすぐに10カ所開設され、11世帯23人が避難したようです。高知新聞のLINEは、「一夜明け爪痕明らかに」と地震で屋根瓦が落ちた路地や、数千冊の本が散乱し棚が倒れた図書館などの写真を公開。

水道管が破裂し午前2時に修理をしている映像には、その迅速な対処に胸打たれました。20カ所の断水は翌日には解消されましたが、水の濁りが残ったため国土交通省・四万十市・高知市の給水車が対応していました。宿毛中学校や港では地震のため、段差ができたりひび割れたりという影響も出たようです。

インタビューを見ると、酒店で7~8割の酒ビンが割れガラスが散乱し「どこから手を付けていいか…」と呆然とする店主さんや「食器棚からお皿が飛び出し、冷蔵庫から鍋が飛び出した」「ついに南海トラフ地震が来た!と思った」という何人もの切実な声が上がっていました。家の中で物が散乱した動画なども報道されましたが、余震が続く中、不安な思いでの生活復旧の片付けは本当に大変なことでしょう。

お正月の能登半島地震で道路が寸断され、孤立が続出し家屋倒壊が多数出たのはまだ記憶に新しいですが、この時は震度7でした。阪神大震災の翌年の1996年、機械計測で現在の10段階の震度階級(震度5弱・5強など)になってから、四国で震度6弱以上になったのは初めてです。

実は宿毛市では2014年と2022年に震度5弱を経験していますが、今回は「今まで感じたことのないくらい(長い)揺れだった」との声が。高知地方気象台のホームページによると、「最大クラスの南海トラフ地震(マグニチュード9.0)が発生した場合、県内のほとんどで震度6弱~7の強い揺れが予想される」とのこと。県内ほとんどで、今回の宿毛の規模の地震が起こるかもしれないのです。

ある居酒屋の店主さんの言葉。「お客さんのお酒だけは倒れないよう対策をしていたので、割れなかった。他はお皿とか、全部割れた」。地道な防災対策がいかに重要なのか、すごく胸に響く言葉です。ボランティアに行くことができない私には何ができるだろうかと考えている、この数日間です。