第1127回 「失いつつあるもの」

10月5日

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」鴨長明の方丈記の一節が、ふと日常で浮かんでくることがあります。

『流れ行く河の流れは絶えることなく、しかも流れる水は もとの水ではない』すべてのものは流転してはかないという一節ですが、最近は日常生活の中でもこの言葉が浮かんでくることがあります。

たとえば、鯨がほとんど食べられなくなって久しいですが、ウナギやサンマもそうなりつつありますし、今年は新高梨や豆腐の危機を強く感じています。(食べものばかりですが、食欲の秋に免じてお許し下さい)

子どもの頭ほどある新高梨は大きくて甘く美味しく 高知の秋の味覚の王様だと思い、県外への贈答用に高知市針木の梨園のものをずっと送ってきました。

ところが数年前、梨が不作の年があり、毎年梨園からのお便りが届いてから注文をしていたのが(今年はえらく遅いな…)と気づいた頃にはすでに時期が過ぎていて、楽しみにしていた知人に送れずあわてたことがありました。今年も夏の猛暑続きで新高梨が不作だというニュースを9月に見て、お便りを待たず早めに手を打たないとと思い果物店に行くと「10月からですね」と言われて待っていました。

10月になり、たまたま産地の一つである佐川町を通った際に(いつもと違うけど、買って送ろうか)と思い、道の駅から一箱送りました。6個入りで7千円弱でしたが、その後サニーマートに並べられた贈答用新高梨の箱を見てビックリ!なんと、一箱9千円だったんです。こんな値段は見たことがありません。見慣れた高知市針木産はごくわずか、佐川町黒岩産のものが10数箱くらい店頭にありましたが、今年は不作のためこれだけですと書かれていました。ネットでもすでに売り切れ。ただ送った新高梨はとても甘かったようで、知人には好評でホッとしました。

報道によると、今年は7月に35度以上の猛暑日が続き表面が茶色く焼ける「焼け果」が増え、カメムシも大量発生したため収穫量は半減したそうです。特に高知市針木の新高梨の木は100年以上たつそうで、そうしたことも影響しているのでしょうか。市場では暑さに強い品種の梨に主流が変わってきているようで、新高は幻の味になってしまうのかもとなんとも言えない気持ちになりました。

ところで、身近な切実さではこちらの方が上でしょう。地元の豆腐がどんどん消えています。

高知では昔「堅豆腐」と言って、縄で吊るせるほどの堅い豆腐がつくられていました。昔ながらの大豆の風味が強くしっかりした食感で水切りもいらないため、ゴーヤチャンプルーなどを作るときによく使っていたのですが、今年の春 メーカーが製造を休止して大ショックでした。

スーパーにいくつか並んでいた地元の堅めの豆腐は、気がつくともう1種類しか残っていません。高知新聞でも「町の豆腐店 廃業相次ぐ」という記事が10月3日に出るほど。大豆高騰、物価高による買い控え、大手との価格競争などで薄利多売である小規模の豆腐店は急速に立ち行かなくなったようで、これは全国的な傾向のようです。

気候変動は致し方ないとは言え、失いつつあるものに思いをはせ寂しさを感じると同時に、豊かな時代を生きてこられた感謝の思いもあり、複雑な思いの秋の日です。

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