第1151回「別冊太陽・やなせたかし特集 こぼれ話」
3月22日
NHKの朝ドラ「あんぱん」開始に向けて、高知は今、最高に盛り上がっています。やなせたかし先生関連の書籍も、花盛りです。ファンとしては新刊も増えて、とても嬉しい状況です。
そんな中、平凡社からも「別冊太陽・やなせたかし特集」が今月、刊行されました。実はこの本には、私も少し関わらせて頂いたので思い入れがあるんです。
昨年の11月はじめ、追手前高校 校友会の先生からメールを頂きました。
「平凡社が『別冊太陽』で【やなせたかしの世界】と題して雑誌を作成するとのことで、本校にも取材にくることとなりました。その中で、校舎等についてコラムのページを計画しているそうです。
つきましては、その記事を書いていただけないでしょうか?」
へえー、追手前も取材してくださるとは!と驚きでした。
そして11月半ばに平凡社のスタッフの皆さんが3人でお越しになり、校舎内を撮影なさいました。「時計台など学校の建築や、学校全体の歴史で1ページほどのコラムを作成したい」というご要望で、文字数は1000字。そもそもまったく無名の私に原稿を書く機会を頂けて大変ありがたいわけですが 今までの新聞記事よりは多いので、文字数を削る苦労はさほどせずにできるかも、とお引き受けいたしました。
昭和11年卒のやなせ先生は、現校舎が新築された最初の入学生でした。「白亜のビルで、県下第一のモダン建築」だったようです。しかし数学がチンプンカンプンだったようで、成績がぱっとしなかった当時の苦悩を、「高知追手前高校百年史」でふり返っていらっしゃいます。昭和53年に書かれたもので、やなせ先生は59歳。アンパンマンがテレビで脚光を浴びる10年も前で、先生らしい奥ゆかしいお人柄が伝わる文章をぜひ引用したく、考えました。
締め切りは12月10日。企画の意図する方向性と違ってはいけませんので、1週間前には大まかな原稿を送りました。すると該当ページのラフ原稿(ページ全体の「図面」のようなもの)が送られてきて、本文の中に重なる内容があることがわかりました。「やなせさんのことから少し離れて、校長室の銃弾の跡なども触れていただいてもいいかと思いました」とのことで、それなら得意分野だとホッとして、「時計台の歴史とやなせたかし」を、書き直して送りました。
その次に連絡があったのは1月半ばです。
「特集のレイアウトをお送りいたします。すみませんが、ご執筆いただいたページの校正をお願いいたします」ということで、URLに飛ぶとほとんど本に近い出来になっており、へぇ~今はこんな風になっているのかと感心いたしました。
一番大変だったのは、校閲です。プロが原稿を読み、内容の誤りがないかチェックし、不足な点を補ったりする大切な作業です。私はやなせ先生の小学校の卒業写真を見て「昭和5年卒業」だと思って原稿を書いていたのですが、校閲から「昭和6年」という指摘がありました。あわてて調べてみると「昭和5年度卒業」だったのです。こういう所は、さすがはプロだなあ~と感服しました。他にもいくつか事実をチェックし直した箇所があり、こうした緻密さがあってこそ、きちんとした書籍が発刊されるのだなあとつくづく感じたことでした。
こうして3月12日に、「別冊太陽・やなせたかし特集」は無事発刊されました。写真は「お礼を申し上げるとともに、感謝を込めて見本誌をお送りいたします」と【献本(けんぽん)】として送られてきたものです。
内容は、評伝 やなせたかしの他にも、やなせたかしの仕事、やなせたかしのアトリエ…アンパンマンを生んだ愛と勇気の物語がてんこ盛りです。最初の叙情的な写真も良いなあ。大人が読んで読み応えのある本で、朝ドラ「あんぱん」のお供には最適です(笑)
個人的には、高知新聞の村瀬佐保さんの「やなせさん、運命の職場 『月刊高知』と高知新聞社」のコラムが、さすがは村瀬さん!ご自身とやなせ先生とのご縁なども初耳で、面白く拝読しました。
帯にもある「人生は よろこばせごっこ」、本当にいい言葉です。
平凡社さん、この度はご縁を頂きまして感謝しています。ありがとうございました。