第740回 「横浜近代建築③ 氷川丸」
3月25日
昨日、久しぶりに中学の同級生と語らいました。このコラムを読んでくれているのが嬉しく 中でも近代建築が好きと言ってもらえて、まだ書いていなかった横浜の建築ネタを思い出しました。ということで、横浜近代建築シリーズ3回目です。
③日本郵船「氷川丸」
山下公園前に係留されている、「氷川丸」。氷川丸は1930年に建造されてシアトル航路へ就航し、戦時中は海軍特設病院船となり、その後シアトル航路に復帰。約30年にわたって洋上で活躍した豪華客船です。戦前の日本で建造され現存する唯一の貨客船で、今は日本の造船技術や客船の船内インテリアを伝える貴重な産業遺産として高く評価されています。2016年に重要文化財に指定された「海に浮かぶ文化遺産」です。
ここは一等児童室。一等船客(ファーストクラス)専用の遊戯室で「スチュワーデス」と呼ばれた子どもの世話をする女性乗組員がいたそうです。デイナーの時も託児があるので、大人はゆっくり食事を楽しめたとか。壁の上に子どもの絵があるのがわかるでしょうか。
この絵は竣工当時(昭和5年)のものです。かっぽう着を着たお母さん、妹をおんぶする姉、凧揚げをする子どもなど当時の世相がしのばれます。
こちらは一等食堂。昭和初期の華やかな客船文化がわかります。昭和12年、秩父宮両殿下がご乗船の時の豪華なディナーが再現されています。
優美な階段を上って…
一等社交室へ。氷川丸のメインホールで、夜はイスを片付けてダンスパーティーの会場になりました。喫煙室が男性の社交場だったのに対し、こちらは女性の社交場の意味合いが強かったようです。
アール・デコの優美な装飾があちこちに見られます。
一等客室。冷温水の出る洗面台がついていました。狭い部屋ですが ベッドはアメリカ製でスプリングのついた寝心地のよいもの、換気・空調設備も船客が自由に調節できる、当時としては最新式の装置が導入されていました。日本の客船の伝統、飾り毛布が置かれています。毛布の折り紙みたいなものですね。
一等特別室は、チャップリンや秩父宮両殿下をはじめ、各国の貴賓や著名人が利用したスイートルームです。ステンドグラスや豪華な調度品など、船の中とは思えないほど豪華です。
この部屋は、三代川島甚兵衛のデザインとされ、テーブルと椅子を除き、壁紙など、竣工当時の姿そのままに残されています。
バスルームはさすがに狭いですが、腰壁はコンクリートではありませんよ。
グレーの大理石です。
さすがに天井の鉄骨の梁はむき出しなところが、船だと思い出させます。
船の廊下なので、かなり狭いです。
船長室は、船長専用の居室兼寝室です。何か起こったときには素早く対応できるよう、操舵室から最も近くにあります。船長室と操舵室は「伝声管」という連絡用のパイプでつながっていて、いつでも操舵室の航海士が船長に連絡をとれるようになっていました。
船の総司令室、操舵室です。
右手後ろには船名の由来である埼玉県の氷川神社の神棚が。
舵輪の前に立つと、目の前に海が見えます。舵を握る航海士もこの景色を見ていたんだろうなあと思うと、なんだか感慨深いです。
船のデッキからは横浜の夕景が美しく広がっていました。
若い頃に聴いた谷村新司さんの曲で、「窓辺の猫」というのがあります。
遠くきらめく船の灯りは 旅することない氷川丸…
その氷川丸に初めて乗船できたことも良い思い出となりました。
氷川丸がここに係留されてから、もう50年以上がたつのです。多分、私が生まれた頃と同じだったのかもしれません。航路を引退してもこうして人を喜ばせている氷川丸に、何か人生を教えられたような気もするのでした。