第670回 「さよなら、療育福祉センター」

高知市若草町にある、高知県立療育福祉センター。昭和31年に「県立整肢子鹿園」として開園し、昭和39年に「県立子鹿園」と改称。平成11年に6機関を統合し、「高知県立療育福祉センター」と改称されました。心身の発達に障がいのある子供たちの医療、福祉、相談等の必要な支援を行っている施設です。(下の写真は北口。写真はすべてクリックすると大きくなります)

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昭和61年生まれの長女、涼歌(すずか)は4歳から24年間、ずっとこちらのリハビリに通ってきました。保育園の頃、大腿部の腱を切る手術もこちらで受けましたし、言語療法も4歳から2年ほど受けていました。(下の写真は南口)

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20年以上ずっとお世話になってきたリハビリの嶋田先生がこのほどご退職になり、それに伴い来年から彼女のリハビリは、南国市の重度心身障害者施設「希望の家」に変わることになりました。

偶然ですが、療育福祉センターもこのほど建て替え工事をすることとなり、昭和50年に建てられた本館は近々、取り壊しをされるようです。

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そして実は、中村も4歳から3年半、子鹿園に入所していたのです。幼い頃だったので、家に帰りたくてたまらなかったと聞いたことがあります。同時期には、ソプラニスタの岡本知高さんもいらっしゃったとか。そんなわけでここは、人・みらい研究所にとっても思い入れのある場所なのです。

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受付付近。夏休みの期間とかはごった返し、待ち時間が長くて大変だったことを懐かしく思い出します。

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遠隔地の子どもはリハビリなどの訓練に通えないため、お母さんと一緒に短期間入所する、「母子入園」をしていました。左の窓はそのための「母子棟」の部屋の窓です。

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中庭。中村曰く、「昔はここに保育園の砂場があった」そうです。ピンクのブーゲンビリアの花も、長年咲いていましたっけ。

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20年通った、リハビリ室の中です。たくさんの道具が並んでいます。

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次女が幼かった頃は、おもちゃが一杯あるここは天国のようで、一緒にリハビリに来ては喜んで遊んでいました。(笑)

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食堂です。かつては多くの子どもが利用していたのでしょう。「7の付く日はカレーライス」と聞いたことがあります。

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今では使われていない、洗面室。中村によると、昔はこの小さな棚1つ1つに歯磨き用のコップを入れていたとか。もうかなり前から床がたわむので危ないと使われていないようです。

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特に時代を感じるのが、トイレです。男性トイレと女性トイレが同じ部屋にあるって…今では考えられないですね。しかもドアがカーテンだったりするわけですし。

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駐車場の植え込みもプールも、もう撤去されました。
これから建築工事が始まるのでしょう。

涼歌のこちらでのリハビリも残すところ、あと1回です。本当に長いことお世話になった子鹿園=療育福祉センター、嶋田先生にこの上なく感謝しています。

新しい療育福祉センターは、平成29年にオープン予定だそうです。