第834回 「遠い記憶と引き換えに」
1月18日 中村 覚
ある日のこと、まだ17時過ぎだったと思いますが、冬の日暮れは早いので車のライトを点けて住宅内を徐行していました。夕闇の中、公園の木々の葉がゴーゴーと風で揺られ、見るからに外は寒そうです。
前方に道の両脇に2人ずつに分かれたランドセルを背負った小学生がいました。道を隔てて大きな声でジャンケンをして勝った方の組が、数歩だけ進むという遊びを繰り返しながらの帰宅途中のようでした。
こんな寒い中、早く家に帰らないと風邪ひくよ、親も心配していますよ~、 などとつい思ったわけですが、でもこれは大人目線の話。
子供は風の子。多分 こちらが思っているほどは寒くないのでしょう。いや もしかしたら全っ然 寒くないのかも。しかもジャンケンをして勝てば数歩 進むという非効率な遊び、この遊びはこっちが思っている以上に楽しくて仕方がないのだと思います。 これらの理由から 冬の夕闇の中でも 家路を急ぐ気持ちなど毛頭ない彼らでした。自分もそんな時があったのかなぁ? 今となっては全く思い出せません。
5歳の子どもにお年玉をあげた時のことです。とても喜んでくれました。中身の金額にではなく、ポチ袋の絵柄に。(笑)昨日もらって家に置いてあるお年玉は動物の絵なんだよと説明をしてくれました。 私のあげた(富士山の)絵柄は まだ持っていなかったから嬉しいのだと。(笑)
お年玉をあげてこれほど嬉しくなったことはありませんでした。この限りなく純粋な感性、超ド級。良いなあ。そういったものの断片ぐらいなら まだ自分にも残っているのかと思ったのですが・・・。
年に一度、正月に帰省する友人と話をしていた時のことです。子供の頃によく買い物に行った地元の駄菓子屋の話題になりました。同じ校区ということもあり、友人もその店には行っていたとのこと。
ところが、二人共 店の名前が出てきません。きれいさっぱり忘れているのです。どうでもいいことと言えば どうでもいいのですが、あれだけ通ったのに忘れる? これが年を重ねるということなのでしょうか。
頭のキャパがそろそろ一杯になってきているので、古い要らないものから捨てているのかもしれません。主に聞いてから捨てろよ。(まっ 捨ててはいないでしょうが。)
昔の記憶や子供の頃の気持ちを横にどかしてまでも、新しいスペースを作り、脳はそこに何を入れようとしているの?などとちょっと考えてみました。私は40才を過ぎ今年は後厄の年でもあります。これからの心の機微をちゃんと感じられるようにと、そのためのスペースなのでしょうか。