第675回 「羽生結弦選手の驚異的なレジリエンス」
12月14日
フィギュアスケートの羽生結弦選手(21)がグランプリファイナルで、また「雲の上スコア」の世界最高記録を更新しました。おめでとうございます!(2015年12月現在←こう注釈を付けておかないと、また記録更新をした時に、いつのことだかわからなくなりそうですね。)
11月末のNHK杯で322.40点を叩き出した時には、初の300点越えの驚異的な点数として今後の彼のプレッシャーになるのでは?とも心配されていました。しかし、わずか半月でそれをまたあっさりクリア。「異次元の強さ」で330.43点と歴代最高得点を更新し、2位のフェルナンデス選手を37点差で引き離して、男子では史上初の3連覇を果たしました。
「自分で自分を追い込んでいた。重圧と戦った。」「NHK杯は素直に喜べたが、今回は安堵感があった」と落涙していました。絶対王者ゆえのプレッシャーに、見事打ち勝った凄さには、ただ脱帽です。
羽生選手は手足が長く恵まれた容姿を持ち無垢な少年のような笑顔を見せますが、時に鬼神のような鋭い眼光を放ち、何よりもその強靱な精神力には驚嘆します。
近年、レジリエンス(逆境からの回復力)が着目されていますが、私はレジリエンスという言葉が、羽生選手とぴったり重なるのです。
彼は2歳頃からずっと喘息に悩まされたそうで、発作の引き金になるため冷たいスケートリンクに長くいられず練習時間が限られ、「体力不足」というハンデにつながりました。気道が狭くなり呼吸が苦しい中、マスクを付けての練習など、相当苦しいトレーニングをしてきたようです。
2011年には、仙台市内で練習中に東日本大震災に被災しました。
彼はスケート靴のまま避難し、家族4人で避難所生活を送ったそうです。練習リンクがなくなったため半年間、全国を転々として復興支援アイスショーに参加し、合間に練習するという過酷な日々でした。被災者として「自分だけがスケートをやっていていいのか」と自問自答し辛い時期もあったようですが、それらの経験がすべて彼の強いメンタルを作り、磨いてきたのでしょう。
2012年にはコーチを変え、カナダへ拠点を移します。
この年に初めて出場した世界選手権の練習中に右足首を捻挫。一時は棄権も考えましたが隠して出場、ショート7位から捻挫していたとは思えない奇跡の演技で、大躍進の銅メダルを獲得しました。続く2013年は左膝の故障が起きます。
しかし彼はこうした困難を乗り越えて2014年、ソチオリンピックで金メダルを獲得。(この時のことはコラム第581回「礼を尽くす、金メダルの羽生選手」に書いてあります。)この年は、金メダル・グランプリファイナル・世界選手権の三冠達成し、最年少で紫綬褒章も受賞しました。
ただ、彼の困難は続きます。同年11月、中国・上海で行われたグランプリシリーズの直前練習中、中国の選手と激突。流血でしばらく起き上がれなかったにも関わらず、オリンピックチャンピオンとして欠場せず、気力で滑りきって2位となり、号泣したのが記憶に残っています。また、12月には腹部の病気が発覚し、手術。
2015年3月の世界選手権では銀メダルになり、連覇を逃して
「悔しさが9割だが、また追いかける事が出来る立場になった。悔しさをバネに進んでいける。」と語っていました。その言葉通り、今季は前人未踏の、世界記録更新とグランプリファイナル3連覇を成し遂げたのです。
こうして見てみると、羽生選手は人一倍様々な困難に直面し、乗り越え、そのたびに逆境に負けないレジリエンスを育て、それが自身をより強くしているようです。いやむしろ、逆境があるからこそ、より闘志が湧くようにも見えます。
しかし彼の見事さはただ強いだけではなく、謙虚で感謝を忘れないことです。
「自分に対して何と言いたいですか?」という質問に、こう答えました。
「ありがとうと言いたい。(優勝を)狙って、できるような練習に耐えてくれた体」「周りの方々が自分の体の中にたくさん力を入れてくださった。皆さんの力に感謝したい。」
くり返し立ちはだかる高い壁にもひるまずに挑み続ける彼の高い精神性は
羽生結弦=レジリエンスを強烈に印象づけました。逆境が彼を謙虚な絶対王者に育てたのかもしれません。そのメンタルの強さには、今後も目が離せません。
「壁の先には壁しかない。課題を克服しても、自分は人一倍欲深いから、また超えようと思う。」(羽生結弦)