第900回 「頭の休憩」
4月24日 中村 覚
新型コロナウイルスの影響により、自粛モードで、不要不急の外出を控えて家で過ごす時間が増えています。特に夫婦間では、同じ空間で同じ時間を過度に共有し始めることで弊害も出てきているようです。私は独り身なので、こういった悩みに直面することはないのですが、1人の時間をどう使うのか、ということについて「こんなのも 良いかも?」と思うことがあります。
それは気持ちをゆるめる時間を、いつもより少しだけ長く持つということです。
家にこもらなければならない今だからこそ、気持ちをゆるめて ちょっと頭を休ませてあげるのはいかがでしょうか。
なにも体をまったく動かさずに、とめどなく ぼう~っとすることをお勧めしているわけではありません。例えば お風呂で湯船に浸かっている時間をいつもより長くしてみる。ストレッチ等の時間を長くしてみるといった具合です。
これらは、やっている最中ずっと神経を集中しておく必要がありません。ですから脳の休憩にはもってこいではないでしょうか。スマホやパソコンで自分の興味関心ごとにアクセスしたり、ゲームをしたりすることは楽しいことですが、常に刺激、刺激の連続で、インプットばかり。脳を休ませることとは別ものです。
インプットを中断した脳はそれまでに見聞きしたものを、頭の中で組み替えて再構築しているのではないでしょうか。記憶の量は膨大です。昨日、今日の情報量でさえもさることながら、過去の記憶も合わせれば無限大。
頭の中で情報を咀嚼することで、何となくの自分の考えがちょっと芽を出す。てんでばらばらの記憶がシナプスでつながるのだと思います。でも だからといってそれは形として目に見えるわけもなく、誰かに聞いてもらえるほど まとまりがあるものでもない。おまけに必ずしもその芽が大きく育つとも限らない。しかし、そういったことの繰り返しが やがてはしっかりした自分の意見となり、自分軸となっていくのではないでしょうか。
脳をリラックスさせるという一見 何の生産性もないように思えることが、実は一番大事な自分軸につながっていくように思います。
よく知られている話ですが、独創的なアイデアが頭に浮かぶ時というのは、目の前の問題に真剣に取り組んでいる時ではなく、一旦その問題から離れ、リラックスしている時、お風呂に入っている時などと言います。科学者や特定の職業でない限り、独創的なアイデアなど必要ないかもしれませんが、自分なりの考えという意味では一人一人に大事なことだと思います。誰一人、同じ人生を歩んでないのですから。
最期に先日、亡くなった志村けんさんの話を1つ。
もう15年程前にテレビでお話されていたことです。ちょうど志村さんがレストランで番組の打ち合わせか何かをしている時に、たまたま後ろの席に座っていた数人の女子高生達の楽しい会話が聞こえてきたそうです。内容は、昨日 見たバラエティ番組について。何気なく話を聞いている内に 志村さんは違和感を覚えます。なぜなら 彼女達の話すことが終始テレビで見た内容ばかりで、それを見ての意見というものが何もなかったからです。
もちろん、彼女達は「面白かった」という大前提のもとに話をしていたわけで、その気持ちはわかる。でも だからといって漠然と面白かった、だけ? 物事を見聞きした際に単なる感想もいいけど、あなたの意見は?
そんなニュアンスのお話だったと記憶しています。バラエティ番組という意味では、志村さんはそのジャンルの作り手ですから、一歩も二歩も踏み込んで考える、というのは常だったと思います。感想ばかりでなく意見を持とうよと、志村さんは笑顔でおっしゃっているのかもしれません。