第902回 「きっとイエスと言ってもらえる」

5月9日

新型コロナウイルス終息の第一歩として、高知県も7日よりすべての業種で休業要請が解除されました。経済が脆弱な高知としては、まずはホッと一息ですが、気を引き締めて行かねば。

さて、今Facebookで本を紹介する「14日間ブックカバーチャレンジ」をしています。書庫の本を引っ張り出し色々と見ているのですが、これが結構楽しくて、あれを選ぶかこれにするか迷っています。コロナ禍の今、心が落ち込んでいる時に読むと勇気がもらえる本をご紹介しましょう。

「きっとイエスと言ってもらえる」(シェリー・ブレイディ、草思社)

アメリカで1960年代から長年にわたり売り上げナンバーワンだった家庭用品のトップセールスマンがいました。彼の名前はビル・ポーター。脳性麻痺で手足が多少不自由で、言葉もうまく話せませんでした。しかし「障害など、ひとつもない」という自分の価値観を曲げずに努力し、成功をおさめたのです。

ビルは1932年生まれ。両親は脳性麻痺のビルを施設に入れるよう勧められましたが、家庭で育てました。現代と違って障害児には世間も時代も冷たく、大変だったことでしょう。

大人になったビルは障害者手当で暮らすよりも、仕事をすることにこだわりました。紹介された仕事は障害のせいで荷物を落としたりして次々クビになり、州当局には「雇用不適格者だ、障害者年金をもらえばいい」と言われました。しかしくじけそうになっても、彼は負けるもんかと気持ちを奮い立たせました。

「何度も雇用局を尋ね、やっと自分がやりたかった家庭用品のセールスマンの仕事に巡り合えた。人はみんな、自分の能力を信じて、一生懸命働かなくてはならない。」

ところが受け持ち地区は貧困層で、セールスマンから物を買えるような余裕はなく、彼は来る日も来る日も不自由な足で歩き回ります。セールスをしていた頃のビルの日課は、

4:45 起床 左手がうまく動かせないため数時間かけて、靴下、ズボン、真っ白なシャツ、ブレザーを身につける。

7:20 バスに乗り、1時間あまりで受け持ち地区に着く

9:00 家々のベルを鳴らしていく。閉じたドア越しに「ごめんなさい」「興味ない」「帰れ」という声が聞こえる。何度断られようが、彼は諦めない。「次の家ではイエスと言ってくれる。次の家ではイエスと言ってくれる。」と何度もつぶやきながら、きっかり8時間まわるのだ。その数、1日に100軒。数ヶ月、時には数年にわたってドアをノックし続け、ついに顧客を獲得していく。

車にぶつけられて7針縫うケガをした時も、「仕事がまだ残っているから」と病院から受け持ち地区に帰り、結局また病院に運ばれるなど「愚直(バカ正直)」とも言える態度で仕事を続けました。それが結局、彼をトップ・セールスマンにしたのです。「500人のお得意さんの内40人は、何も要らないから二度と来るなと言った。それが今、一番のお客になっている。」

「自分にはこれがない、あれがないと考えるのではなく、自分が持っているもののことを考えましょう。そして、ベストを尽くすのです。私は今まで、そうやってきました。忙しかったり、能力がなかったりして自分でできないことがあれば、人を雇いました。」

ビルはネクタイも自分では結べなかったので、母親が死んだ後は他人の手を借りざるを得ませんでした。毎朝、靴ひもとネクタイを結んでもらいに、ホテルに通いました。人に助けてもらったとしても、決して半人前なわけではありません。商品の配達に雇った女子高生シェリーは、その後20年間以上仕事の助手となり、後に彼の本を書きました。

1997年、ニュース番組が彼を取り上げ、その後彼の人生は2時間ドラマにもなったのです。

「私には障害など、ひとつもありません」

障害、という言葉は彼の辞書には存在しません。「障害、とは目標の達成を完全に妨げるものをさすが、自分はいつも目標を達成してきたから、障害というものに突き当たったことは一度もない」と言うのです。

私がビルから学んだ「人生の指針」は、

  • 逆境を嘆かないで、前向きに生きる
  • 自分の資質を信じる
  • 誠実に行動する

私の長女も、ビルと同じ脳性麻痺です。残念ながら彼女の場合 自分で立つことも歩くこともできないため、とうてい仕事は無理でデイサービスに通っていますが、彼女なりに人生を楽しんでいます。今でこそサポートが充実し障害を持っても働くことが可能な社会になっていますが、人生の選択肢が多いのは 幸せなことですね。

働くことはごく当たり前のこととされて来ましたが、コロナ禍の今、働ける健康があるということは大変ラッキーなことだと、改めて思うのです。

次の記事

第903回 「数」の話