第933回 「追手前高校 資料 2020」

12月12日

新型コロナに始まりコロナに暮れる2020年ですが、先日、母校である追手前高校へ出かけました。仕事が一区切りし、宿題である追手前高校の古い資料に取り組みたかったからです。

昨年の夏、このコラムで4回に渡って追手前高校を紹介したシリーズがお陰さまで好評で、また続編をというお言葉も頂き、改めて取材に訪れたのです。
私は校舎建築が大好きなので、往事の資料などを見てみたくて。
校友会事務局長の井上先生にお願いし、古い資料を見せて頂きました。

昨年来たときには本館1階の校友会校史資料室にあった明治期からの古い資料は、新館4階に引っ越していました。今後の南海大地震の浸水対策です。「日頃は多忙でなかなかできないことが、今年はコロナ休みの期間にできました」と井上先生。

コロナ休校の間、クラブ活動はOKの時期があり、テニス部が運んで美術部が資料を分類してくれたそうです。貴重な財産を守って下さり、ありがとう!後輩の皆さん。

明治期からの資料は膨大なので、「学校資料集」として目録が作られています。第一集から第五集ですが、第二集は上・中・下に分かれています。年報、学校日誌・教務日誌、教員任免一覧、戦後学制改革関係書類など、往事の貴重なものばかり。これらを守ってこられたことがすごいし、膨大な記録を整理し目録を作られた かつての校友会の先生にも頭が下がります。

新体育館1階にも、校史資料室があります。だから資料は現在、本館・新館・こちらと3つに分散されているのですね。保管のため24時間空調をしている関係で、ちょっと開きにくくなっているドア。

こちらも、様々な歴史的資料の宝庫です。

昭和天皇が皇太子時代、大正11年にご来校なさった時のお写真。後ろの幕に当時の追手前高校の校章「六棱星」が描かれていますし、その時の「お手植えの松」は今も中庭に残っています。こうしたこともあり、建築時に貴賓室がつくられたのでしょう。

当時の校舎設計図。「城東中学校校舎設計図 昭和5年」と片隅に記載されています。ご覧のように、大きなものです。

校友の先輩でいらっしゃる、やなせたかし先生のアンパンマンが右端に。偉大な先輩 浜口雄幸元首相からアンパンマンまでと、幅広い展示です。

様々な資料の中でも、私が特に関心を引かれたのは記念誌です。

創立五十周年記念号と、創立八十周年記念誌。現存している最も古い記念誌が、五十周年記念号で、なんと、昭和3年のものです。現存している五十周年記念号は2冊だけ。

現校舎が落成したのは昭和6年なのでそれについての記述はなく、創立記念式と回想録、大正時代の浜口雄幸(当時は大蔵大臣)の講演録など、300ページ以上ある冊子です。
ちなみに「2588」とある年号が目くらましになっていますが、これは皇紀なんです。神武天皇即位の年を元年と定めた日本の紀元で、2588年は昭和3年にあたります。

その後は戦争を挟んでいたため、五十周年の次に記念誌が発刊されたのが創立八十周年記念号で、昭和34年に刊行されています。偶然にも私と同い年!(笑)

これは私が個人所有している、追手前高校記念誌の数々です。我ながら、追手前LOVEですね。(笑)八十周年記念誌からは九十周年、百周年と十年ごとに刊行され、百四十周年誌まで出ています。現在が創立142年なので、あと8年で150周年の大きな節目なんです。

創立八十周年記念誌には、戦争中、B29に校舎が空爆に遭った壮絶な校長先生の体験談が記されています。なかなか読めない貴重な資料ですが許可を頂けたので、来週、記載することにします。