第954回 「思い入れのある字」
5月14日 中村 覚
大御所の作家さんがご自身のエッセイの中で、実は読めても書けない漢字があり、こういうことを人に話すとたいてい驚かれる、といった内容をお書きになっていました。私も読んで意外でした。書けない字があるのは当然と言えば当然ですが、お仕事柄 字には困ることがないほどに精通?されているのだろうと勝手なイメージがあったからです。
でも驚くと同時に、こんなことを書くこの方のおおらかな自己開示の心に触れたようで、自分の気持ちが穏やかになるのを感じました。友人同士でもそうですが、勢いの良い上昇気流の話ばかりするよりも、ゆったりと腰を下ろして、いや実はねと小声で話すような話題にこそシンパシーを感じるものです。
読めない、読めなかった、知っていても書けなかった漢字なら私などいくらでもあるわけですが(笑)、その中でも思い入れの強い字があります。
中学生の頃、社会科の先生がある時「今後のテストでは、漢字で習った事柄、人物等については全て漢字で書くように」と、それはそれは厳しいお触れを出しました。(笑)もちろん、たいていの場合、言われなくても漢字で書くわけですが、もしもの時のひらがな表記”を今後は一切認めないと言うのです。
“ひらがな表記”という命綱なしで頑張れと…。(笑)
そしてテストの日。
ある設問があり答えは「豊臣秀吉」。サービス問題みたいなものです。
ところがこれまでとは違い命綱がない状況なので、余計な緊張が走ります。瞬間、書けるはずの字が書けなくなり、なんだっけ?なんだっけ?苦し紛れに書いたのは「豊富秀吉」。「豊臣」の「とみ」の字が脳から消えていました。後日、手元に返ってきた答案用紙はちゃんと“不正解”でした。このことが「豊臣秀吉」の字を見る度に今も思い出されます。
先日、読んでいた本の中に「疾病」という字が出てきました。私の中でこの字以上に思い入れのある字はないと断言できます。高校の保健体育の時間のこと。座学ですから、教壇から先生が教科書の内容を読み上げている時、突然、何の前触れもなく「中村、これは何と読む?」と聞かれたのが「疾病」でした。
「なんで自分が?」と内心思ったのですが、そんなことよりも とにかく答えなければなりません。普通?に読めば「しつびょう…」でもそうは読まないからこそ、わざわざ指名までして聞いているんだな、とそこまではわかりました。が、肝心の読み方がわかりません。
実は今だからわかるのですが、この時、先生は見せ場を作ってくれたのです。というのも私は日頃体育の時間はだいたい見学していたので「こういう時に、ちょっと難しい漢字もパッと答えて、日頃とは違うところを周り(同級生)に見せてやれ。」と大人の気配りをしてくれたのではないかと。
ところが読めない、傷口に塩でしかない。(笑)
仕方ありません。変に間違った読み方を言うより、堂々としている方が傷も浅いに違いない…多分。ちょっと間をおいて堂々と
「わかりません。」
「余裕で言うな!」
バッサリやられましたが、教室には笑いがおこり、答えられなかった恥ずかしさも薄らぐというもの。先生のこの一言で助かった。(笑)
今思うと、この時すんなり「しっぺい」と答えていたら、こんな良い思い出として残っていなかったと思います。
これもまた良し、かな。