第971回 「オリンピック・パラリンピックに思う」

9月11日

東京パラリンピックも、コロナ禍で本来の盛り上がりにはほど遠い状態だったことは残念でしたが、先週無事に閉幕しました。

今回、コロナ禍にもかかわらず政権がオリンピックやパラリンピックに観客を入れようとしたことに批判が集中し、開幕前から気持ちが削(そ)がれてしまうような流れになりました。

オリンピックは1964年の東京大会やアテネ大会の 金メダル16個をはるかに上回る、金メダル27個を獲得。それは選手の皆さんの頑張りで、すごいと率直に思います。

ただ、コロナ禍で海外勢は日本での直前合宿ができず高温多湿の気候に調整できなかったことや、開催国である日本が強い野球やソフトボールを種目に加えたことも影響しているのかなとも思います。

ずっとIOCが独断で決定し、政府はそれに何ら意思表明をせずに受けるだけという繰り返しを見ていると、「日本はIOCの下部組織なのか?」という皮肉も浮かんできて、気持ちが萎えたのもまた事実です。コロナ禍で膨らんだ予算も「もうけはIOC、ツケは日本」という構図に、オリンピックの裏側が見えてしまいました。

とまあ、私はオリンピックを斜めに見ていたのですが、パラリンピックは違います。
オリンピック選手は元々高い能力を持つ選ばれたアスリートですが、パラリンピック選手は、そもそもスタートが違います。人生において逆境にあったり、アクシデントで非常に大きな壁にぶつかった方々が、そこを苦悩しつつレジリエンスで乗り越え、心身共に飛躍する姿に「自分ならできるだろうか」と考えさせられます。生きていく上で様々な障壁にぶつかるのは同じだからこそ、それを乗り越えた強さに 深い感銘を覚えます。

例えば、高知県出身で車いすラグビーの主将、池 透暢(ゆきのぶ)選手(40)は、交通事故で左足を失う大けがを負いました。その時に同乗していた友人3人も亡くなったそうです。しかし、「大切な友人の分まで頑張って、生きた証を残したい」と思い、車いすラグビーを始められたのだそうです。そういった背景を知ると、今回獲得された銅メダルの輝きも、違って見えます。

また、ザンビア唯一のパラ選手、陸上のモニカ・ムンガ選手(22)は、生まれつき肌の色素が薄い「アルビノ」で、視覚障害があります。家族の中でも肌が白いのは自分だけで、父親からも暴力を受けて来たとか。

アフリカの一部では、アルビノの骨や臓器は幸運をもたらすとの迷信から、今も「アルビノ狩り」と呼ばれる襲撃事件が起き、2006~2019年にアフリカの28か国で208人が殺害されているという事実。あまりにも衝撃的で、言葉を無くします。彼女の友人も殺され、「もうこれ以上殺される人が出て欲しくない。走ることで、偏見をなくすキャンペーンになれば」と走り続けているのです。

パラリンピックは、単に「障害者が頑張る、オリンピックの亜流大会」ではない、と強く思います。メダルの色と数以上の人生の価値が そこにはあり、様々な逆境に置かれた方々が、懸命に壁を乗り越えていく。だからこそ その姿に胸を打たれ、無言の内に多くの学びを頂けると思うのです。