第991回 『「本当の大人」になるための心理学 』2

2月5日       中村 覚

第989回に代表の筒井が諸富祥彦さんの著書 『「本当の大人」になるための心理学』を取り上げていました。実は今回、私もこの本を紹介させて頂きます。

それだけ内容が濃いのはもちろんですが、自分には珍しく次々とページをめくらずにいられず、速いペースで読み終えました。(もちろん早く読破することに意味があるとは思っていませんが。)そしてこの本の中に出てくるいくつかの表現が、読後 頭にちゃんと残りメモを見なくてもすぐに出てくることに自分でも驚いています。(笑)

生活する中で、せっかく良いなと思うことを聞いたり見たり読んだりしても、だいたいのことは俊足で消えていくのですが…。(笑)忘れてしまっては、自分なりに咀嚼することができません。でも諸富さんの表現、言葉の組み合わせはとてもインパクトがありました。

読んだ時にちょっとドキッ!としてしまった言葉に「欲求の遅延化」というのがあります。すぐに叶えたいのが欲求。その欲求を少しでも遅らせて対応する(叶える)という意味合いですが、日頃はこういった言い回しはしないですよね。

「欲求」というと自分でもなかなか律することが難しく手を焼いているというイメージではないでしょうか。「〇〇が欲しい」「〇〇が食べたい」など。えてして欲求は際限なく肥大していきます。

そして「遅延化」。遅延というとマイナスのイメージがかなり強いです。電車の遅延、お店のオープン遅延。サービスを提供する側、サービスを受ける側、双方にとって良いことは全くありません。でも「欲求の遅延化」となると言葉のニュアンスがだいぶ違ってきます。

文章中では、コンビニエンスストアやスマホにより、便利になりすぎた現代社会は、今すぐに自分の欲求を実現させたい、こういった傾向が非常に強いのだと。つまり これは「欲求の遅延化」ができていないと指摘します。本当にそうだなあと思うわけです。最近なにかとやり玉にあげられるスマホをもってくるまでもなく、ずいぶん前からドライブスルーでファーストフードが買えたり、3分でラーメンが作れたりと、耳が痛いことばかりです。

人間は欲求によって突き動かされる存在でもあるので、欲求とさよならをしてスッパリと縁を切るわけにもいきません。だからこそ「欲求の遅延化」だったら「やってできないことはなさそう!」そう思わせてくれます。(笑)

次は「見て見ぬふりをする力」。という表現についてです。                    子供の頃から先生には「見て見ぬふりをしてはいけません」と言われた方も多いのではないでしょうか。教室や廊下に落ちているゴミに対してや、困っている人を見かけた時には、「見て見ぬふりをしてはいけません!」これは常套句みたいなものでした。(笑)

ところが「見て見ぬふりをする力」とあるわけですから、「なんか悪い方向に行っちゃったのかなぁ~」と思う節もあるかと思いますが…。もちろん違います。(笑)

文章中では、人生にはあまりにも辛い現実があり、その現実をいきなり直視することは避ける方がいい。時にはその現実を「見ないようにする」。つまり「見て見ぬふりをする力」が大切だというのです。もちろん一般的には現実と向き合うことは大事ですが、時と場合によっては人間、そんなには強くない。「見て見ぬふりをする力」は生きていく上で大事だと。

人は嫌なことがあったりすると自分なりの方法でストレスを解消するものです。それはお酒だったり、友人と食事をすることだったり、趣味に没頭したり~など。私の場合だとあれこれ考えて嫌気がさしてしんどくなると、その日は熱いお風呂に入って早めにさっさと寝るようにしています。本当は他にもっと良い方法があるのかもしれませんが、これ以上のことは思い付かず、言わば苦肉の策のように考えていました。

でも苦肉の策などと考えるよりも諸富さんが言う「見て見ぬふりをする力」なんだと解釈する方が後ろめたさもなく、気分も良いというものです。「これは自分の能力なんだ!」と。ちょっと言い過ぎでしょうか。(笑)