第1022回 「足摺七不思議をご存じですか?」
9月11日
先日の高知新聞に「土佐史談会が足摺岬などを巡り、地元同好会と交流」という記事が載っていました。足摺岬は地理や歴史,、文化的にもとても魅力のある所ですが、高知市からも車で3時間以上かかり気軽に行くのは難しいため、知られざる魅力があふれているのです。足摺七不思議も、その一つです。
有名な足摺岬灯台へ向かう手前で右に折れると、椿のトンネルに入ります。この遊歩道を通っていくと、足摺七不思議に出会えるのです。七不思議というのは七つの不思議ではなく、たくさんの不思議を指し、一説では21もあるとか。
実は七不思議のルートはUの字型になっていて、私たちは灯台に近い道から入る逆ルート?を通りました。ですので、一般的な七不思議の紹介とは順番が逆かもしれませんが、四国遍路も「逆打ち」という御利益が大きくなる逆ルートを回るパターンもあるくらいですので。(笑)
1.地獄の穴
まずはその名も怖い「地獄の穴」。この穴に硬貨を落とすと、チリンチリンと落ちて行く音がするとの言い伝えがあり、ずっと見てみたいと思っていました。
実はこの下には、金剛福寺付近まで洞穴が通じているといわれています。グーグルマップで測ってみたら、ここから金剛福寺までは直線距離で200m。海岸からここを通りお寺までは直線距離でも270mくらいあるので、いかに長い洞窟がこの下に通っているのかと神秘を感じます。地獄の穴は残念ながら今は塞がってしまったようですが、昭和52年にはおよそ1分ほど落ちていく音が聞こえたとの記録が書かれています。聞きたかったなぁ~!
2.大師の爪書き石
1200年ほど前、弘法大師が金剛福寺を建立した時にこの花崗岩の大きな岩に、爪で「南無阿弥陀仏」と刻んだと言われています。
近くで見ると、うっすらと「南無阿」という字が見えますよ。
(写真をクリックして大きくすると見やすくなります。)
七不思議を巡るルートの途中には、足摺岬灯台もあります。
大正3年に作られ、昭和35年に画期的な「ロケット形灯台」に生まれ変わり、現在も活躍しています。「 日本の灯台50選 」にも選ばれ、水面からこの灯火までは60mあるとか。
3. 亀呼場
弘法大師がここから亀を呼び、亀の背中に乗って目の前の不動岩に渡り、身体安全、海上安全の祈祷をされたといわれています。「お亀さ~ん」とこの場所から亀を呼ぶと、亀が浮かび上がって来るんですって。写真を撮ってて忘れたので、次はやってみようっと。
4. 大師一夜建立ならずの華表
(弘法)大師が一夜で華表(とりい)を造らせようとしたが、夜明け前にあまのじゃくが鳥の鳴真似をしたため、夜が明けたと勘違いし、やめたといわれています。夏は草で覆われていてよく見えませんが、手前の石造りが痕跡のようです。
途中、林が途切れて眼下に黒潮が流れる太平洋が見えます。この神秘のルートを通ると、気持ちよい潮風に吹かれて体中が浄化されていくようにも思えます。
5. ゆるぎ石
かなり大きな石です。大師が金剛福寺を建立した時発見した石といわれています。
大きな石の上に小石が三つ積んであるんですが、親孝行者ならこの大石を動かすと、上に積んでいる小石が落ち、親不孝者なら落ちないとか。親の肩をもむ要領が身についているかどうかということらしいです。ちなみに私はびくともしませんでした。(笑)
6. 不増不滅の手水鉢(ちょうずばち)
平安時代、賀東上人と弟子の日円上人が、補陀落(お釈迦様の住む浄土)に渡海しようとしたとき、弟子の日円上人が先に渡海してしまったそうです。残された賀東上人は非常に悲しみ、この岩の上に身を投げ出して涙を流し、それが不増不減の水となって残っているといわれています。
7.犬塚
昔、生まれ変わり一国一城の主となって世の平和をもたらすことを願った僧が、右手に「南無阿弥陀仏」の文字を書いてこの断崖から身を投げたとか。飼っていた犬は飼い主をひたすら待ち続け、ついにこの場で息絶えてしまい、村人は哀れと思って犬塚(墓)を建てたと言われています。
その後、土佐藩二代目・山内忠義公の右手に墨のような生まれつきの痣があり、この故事を知った忠義は自らを僧の生まれ変わりと想い、金剛福寺再興を行ったそうです。
8. 根(寝)笹
この地に生えている笹はこれ以上大きくならない笹だといわれています。
夜になると、龍が馬の姿に変わり、ここでコロコロ寝っ転がって遊んだため、笹が大きくならないのだという伝承があります。
9 汐の満干手水鉢
岩の上に手水鉢に似た小さなくぼみがあり、汐が満ちているときは水がたまり、引いているときは水がなくなるといわれ、非常に不思議とされています。
実際に測ってみると面白いと思うのですが、しばらく滞在しないといけませんし、断崖の上で柵からかなり身を乗り出さないといけないので、危険ですので無理ですね。(笑)
10.亀石
この亀石は自然石ですが、亀にそっくりです。人との比較でわかるように、かなり大きな物です。弘法大師が亀の背中に乗って燈台の前の海中にある不動岩に渡った亀呼場の方向に向かっています。
ところで、七不思議の伝承は、どういったものから生まれたのでしょうか?
昔からお遍路さんは四国各地を回っていました。その先々でお寺の人や地元の世話役との交流があり、そこで土地土地の話を聞き、地元を知ることになったわけです。
ですから四国遍路は、観光の元とも言えます。
「観光」という言葉自体が戦後の用語であり、七不思議も伝来は古いものではなく、昭和の観光ブームの折に地元の伝承を元にたくさんある不思議を「七不思議」として、まとめたのでしょう。
それにしても改めて足摺七不思議は、魅力を感じます。もっと深く研究してみるのも面白そうだと思ったことでした。