第1025回 「浦島太郎の使い方」
10月1日 中村 覚
1960年に公開された、SF映画「タイムマシン」。タイトルそのままにタイムマシンに乗って未来に行くという内容です。タイムマシンの姿形や未来に対するイメージなど映画の中の描写は、きっと古くて新しいはず。そんな雰囲気を持った映画を観るのが最近の楽しみです。
タイムマシンに乗って~、となると私の勝手なイメージでは、揺れ動く巨大な光の中へマシンに乗って突入。でも、このイメージも既に古いのかもしれません。 マシンの形は?となると考えたこともありません。写真はただのミニカーですが、これもそうですと言われれば、そうなの?程度です。
映画の中のマシンはというと、古い遊園地にあるような 車体が土台に固定されて左右に若干揺れ動くだけの、あの子供が乗って喜ぶような車のいで立ち。(もちろん、もっとオリジナリティーはあるのですが、簡単に説明すればの話です) そして座席の前には西暦と年月日がアナログで表示される装置があり、その横のレバーを引くと未来に向かって出発。 古くて新しい! こういう描写が好きで、もうこれだけでも、観た甲斐があったというものです。
こういった感じで映画を楽しんでいると、テレビの前を荷物を持った母親が横切ります。
「これ、なんの映画?」
「タイムマシンの映画。」
「…」
てっきり そのまま素通りするかと思いきや、荷物を下ろして画面を見始めます。途中から観てわかるかなと思ったので、ちょっと補足説明を加えます。
今、この主人公がタイムマシンに乗って17年後の未来に来ている。そこで偶然、知人に会ったので声をかける。でも怪訝な反応をされる。実は相手は知人ではなく、その息子さんだったから。17年の歳月の経過で、既に知人はこの世を去り、その息子さんが立派な大人になっていた。 そういう場面ね。
こういうシーンはタイムマシン関連の映画なら あるあると思うのですが、
76才の母にはこうやって丁寧に説明するぐらいが ちょうどかと。 ところが、その後に
母「それはおかしい。この人だけ(主人公だけ)歳を取ってないわけやろ。」
私「だから主人公はタイムマシンで、17年後に来ているから。そうよ。」
母「17年経っているなら、その分 歳を取るはず。おかしい。」
ここで気付きます。どうもタイムマシンを知らないらしい。ダメ元で、タイムマシンって、どういう物かと聞くと、平然と「タイムカプセルと一緒よね。」
新しい! 映画より飛んでいる。(笑)
「よく子供が手紙とか入れて、数年後、掘り返すやろ。仮にそれが、10年なら10年、ちゃんと時間は経っている。だからこの主人公も~。」
ここで私はDVDを一時停止にし、一呼吸入れます。
「それは、ただの時間の経過やろ。それにもし、それをタイムマシンと言うなら、みんなタイムマシンに乗っていることになるで」
どうもタイムマシンとはある種の乗り物というイメージもないらしい。じゃぁ、どんなふうに説明をすればいいのか?
「だから、タイムマシンというのは、乗り物に乗ってある時代からある時代へ瞬間移動するわけよ。」この「瞬間移動」という言葉も 多分、母には馴染みのないはず。でも他に説明の仕様がありません。瞬間移動は時間経過がない!「パンッ」と両手を叩いて、今、この瞬間に未来に行けるわけよ。
わかる? 瞬間ながよ。 瞬間。 だから時間は関係ない。
母「 … なんか、SFみたいやね。」
私「SFですよ。最初から、ずっと。」
内心、SFは知っているのかと思いながら、とにかくタイムマシンに乗った人だけが時間の経過に関係なく未来に行けると、何度も繰り返して説明します。
「じゃぁ、あれかね。 浦島太郎みたいなもんかね。」
そう、 それっ!まさにそれっ!
目から鱗でした。さっきまで力説していた自分はなんだったのか。「人を見て法を説け」と言いますが、こういうことなんですね。まさか浦島太郎でよかったとは…。