みなさんご存じの通り、私の長女は障害児です。
長女が生まれてから、「人間にとって、何が一番大切なことか」という、非常に根元的な問いを幾度となく考えるようになりました。
声も立てずに重度仮死で生まれてきて、半日もの間会えなくて、生きているのか死んでいるのか不明だったとき。
1歳前、医師に障害があることを告げられ、目の前がまっ白になった日。
3歳の頃、座位保持椅子ごと玄関から落ちて額を切り、血だらけになったとき。
7歳の頃、てんかんの発作が長時間続き、後遺症が残るかもしれないとおびえたとき。
なぜか衝撃的な局面が多いのは、究極の場面でないと、そういうことを考えられない私の愚かさなのでしょう。日頃は
それはあまりにも根元的な問題で、つい忙しい日常の中で、その答えを見失いがちになってもいます。
長女が小学校3年生の時のことです。学校から帰り、畳の上でリラックスして私と何気なく話をしている時に、ふいにこう言いました。
「ママ」
「なに?」
「…生まれてきて、良かった」
あまりに思いがけない言葉に、私は絶句してしまいました。
長女の言葉は淡々としていて、まるで今晩のおかずをリクエストしている時のようです。
子供ながら、決して平坦ではなかった彼女の今までの人生を、そんな一言で言い切ってくれたこと。
そしてそのありがたさに、不意に涙がふくれあがってきて、こらえるのに必死でした。
「…こんなママで、良かった。」 穏やかに微笑む娘。
そんなこと言ってもらえるほど、立派な母親じゃないのに…。
素直じゃない私は照れてしまい、なんとか話を日常に戻そうとしました。
「…学校で、何かそんな話したの?」「ううん。自分で考えた」
さすがに素直じゃない私も、ついに降参してしまいました。
「ありがとう。」私は思わず、照れを忘れて心からそう答えました。
「ママのところへ生まれてきてくれて、本当にありがとう。」
なんて素晴らしい宝物を、私は神様からゆだねられたのだろう。
そして同時に、こう願わずにはいられませんでした。
(どうかこの子が大人になってからも、「生まれてきて、良かった」と笑顔で答えられますように…)と。
―それからもう、9年。長女は18歳になりました。今のところ、毎日笑顔で過ごしている彼女は生きる喜びに溢れています。
ただ、障害者の場合は、学校を卒業してからが正念場。これから色々と悩ましいことも沢山出てくるでしょう。しかし、親子共々、「負けないぞ!!」と改めて心に誓いました。
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