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ウィークリーN
第102回●2004年10月24日(日)

足跡2 「妊娠とは、ハードなことと覚えけり」


メリーゴーランド
 
 「妊娠すれば、当たり前のように出産する」なんて、大変な考え違いであったことを、深く深く心に刻む結果となってから、数ヶ月がたちました。

 再び、私は妊娠しました。子供を授かれたことのありがたさを今度はしみじみと感じ、 つわりのしんどささえ嬉しかったほどです。

 昭和61年3月末、夫は宿毛市沖の島へ赴任。私達は沖の島に住所を移しました。後で考えると、これが大きな転機になったのでした。島までは、船で1時間15分。週に一度、買い出しを兼ねて宿毛市に渡っていました。
 それまで自分が病気一つしない体だったため、「妊娠は病気じゃない」と思い、適度に動いた方が良いと思っていました。特に異常もなかったため安静には努めず、車にも乗り、普通の生活を送っていました。

 ところが、しょっちゅう船で揺られた生活が良くなかったのか?、妊娠8ヶ月の始めに産科の先生に「子宮がもう開きかけている。頚管無力症の兆候があります」と診断されてしまいました。
ショック!

 そこで早産防止のため、翌週(29週)、赤ちゃんが出てこないよう子宮口をくくる手術をしました。生まれて初めて麻酔で手術を受けることは、かなりの恐怖でした。しかし、無事に手術を終え、経過も良好とのことで、1週間で退院となったのでした。

「安静にしてなきゃいけませんか?」と退院前に先生に尋ねると、
「いや、別に普通の生活してもいいですよ」ってことだったので、車を運転して帰り、アパートに帰ると階段を上がり降りして、片づけなどをしていました。

 後々知ったのですが、こんな妊娠後期にそういう手術をした場合、絶対安静で、場合によっては出産まで入院していなきゃいけないほどだったのです。しかし、この先生は医大を卒業後1年目で、他に産科のドクターはいらっしゃいませんでした。夫は医師ですが産科については全く知らず、先生のおっしゃるとおりにしていたのです。思えばこれが、悲劇の始まりでした。

 その晩、私はどうもおかしいと首をひねりました。痛みなどはないのですが、破水?と思われる兆候があったのです。しかし、ごくわずかな量。知識として知っていた「破水」とはドッと水が出る、というもの。(じゃあ、違うのかな)と早々に眠りました。

 明け方4時頃、目覚めると量が増えていたので「やっぱり破水かも」と不安になり、病院に電話。しかし出た看護婦さんに説明しても、「わかりませんねえ。とりあえず病院に来てください」と言うことで、あっという間に病院にUターン。しかし、私はまだ(多分破水じゃないだろう、すぐ帰れるはずだ)とノンキに構えていたのです。

 ところが、やはり破水らしい、ということになり、絶対安静に。しかも、破水すると、もうお腹の中では長く保たない…つまり出産間近、と聞かされ、大ショックでした。まだ妊娠8ヶ月、赤ちゃんは推定1500〜1700gの未熟児なので、未熟児の設備がある中村市の病院に搬送した方が良い、ということに。次の日にお腹の張りが強くなり、分娩監視装置が付けられ、朝になって救急車で中村の病院に運ばれました。

 急転直下とはこのことです。早産気味ですね、と告げられてからわずか2週間。「妊娠は病気じゃない」なんて、とんでもない。痛みなどの自覚症状がないだけに、自分ではまったく状況がわからず、「妊娠とはハードなことと覚えけり」という、不安だらけの心境でした。


 ※ここで、まだ妊娠前の女性の方々にお願いです※
  妊娠後期になったら、くれぐれもあまり無理なさらないでくださいね。
  後でいくら悔やんでも、悔やみきれないこともあります。
  それから、医師の言うことも万全ではありません。
  こんな私の体験ですが、どなたかの参考になればと思います。

 

   
 
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