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ウィークリーN
第103回●2004年10月31日(日)

足跡3 「母としての確信」


 
 妊娠32週。転院してから1週間。時々お腹の張りが強くなるのを薬で抑えていたが、日ごとに痛みが増し、ついに本格的な陣痛になる。腰骨にまでズンズン響く痛みに、夜10時前、寝入っていたが目を覚ます。それまでよりも2段階はUPした感じの痛みだ。看護婦さんは助産婦さんを呼び、11時前、先生の診察ですぐ陣痛室へ。

 ラマーズ法の勉強をしたかったのだが、妊婦教室で勉強する前に入院してしまったため、痛みを逃すすべが分からない。酸素マスクをつけ、ハアハアと呼吸。先生が来てくださったが、「チビだから、帝王切開せんといかんかもしれん。」ひえ〜、嘘でしょ!?

 1時間しないうちに分娩室へどうぞ、となった。以前同室した妊婦さんは陣痛室に5時間もいたから、(助かった。)と思う。赤ちゃんが小さいため、小児科の先生も待機してくださる。

 夜中12時過ぎ、分娩室に入って20分しないうちに赤ちゃんは生まれた。自然分娩だった。看護婦さんの「お嬢さんですよ」「1618グラム」という声が聞こえる。なんとか1600はあったか、と思うがわが子は声も出さず、すぐに小児科の先生のプロジェクトチームに取り囲まれ、姿も見えない。やがて、どこかに運ばれていってしまった。

 ホッとする間もなく、後産。出産で終わりかと思ってたのに、胎盤を出すのがまた痛かった。(こんなこと、知らんかった!)おまけに子宮の収縮具合が悪いとかで、お腹の上に氷のうをのっけられ、その場で2時間。これは陣痛と違って痛みに休みがないから、相当辛かった。途中、母と妹が来てくれた。夫は沖の島なので、夜中には来られなかった。

 やがて小児科の先生がおいでて、
「生まれた時は皮膚の色が悪かったけど、いい色になった。未熟児だから肺機能不全症ですが、おそらく助かるでしょう。それと生まれた時に足の形が悪かったけど、レントゲン撮ったら異常がなかったので、大丈夫でしょう」とおっしゃった。

 それまでは痛みがあっても不安で涙も出なかったけど、「ああ、助かったんだ」と思うと同時に、涙が出てきた。同時に(やっぱり機能障害があったのか)と思うと、泣けてきた。
(ちゃんと生んであげられなくてごめんね。でも頑張って。元気で生きて…)

 こういう場合、 産婦を不安にさせないため、赤ちゃんが助からなくても「助かりました」と言うことがあるのは知っていた。本当に大丈夫なのだろうか?不安の中で私は、とても産後の安眠どころではなかった。 もし命さえ助かるなら、たとえ障害があっても何でもいい、と思った。
「そんな弱気でどうするの」と妹に怒られたけれど、( どうか神様、命だけは助けてください)と、泣きながらずっと祈った。


  明け方、さすがに疲れて少しうとうとする。目を覚まし、ふと窓の外を見ると白いブラインド越しに、夏のさわやかな美しい夜明けの空が見えた。それを見ているうちに、
(大丈夫、あの子はきっと助かる)と思えてきた。

 何の根拠もない。しかしそれは、初めての母としての確信だった。

 

   
 
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