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ウィークリーN
第107回●2004年11月28日(日)

足跡6 「現実はドラマじゃない」


 「現実はドラマじゃない」。
当たり前なのだが、つくづくこれを思い知らされた。

  障害児が生まれてしまった場合、家族の心境の変化は一般的に次のようであると聞いたことがある。
 
 @衝撃期 障害児です、と宣告され、ショックを受ける
 A否定期 「なんでうちに」と嘆いたり、「何かの間違いではないか」と思う
 Bあきらめ そのうちに、「仕方がない」というあきらめの心境になる
 C受容  徐々に現実を受け入れるようになる
 
  さて、我が家の場合はどうだったか。思いがけず、子供が障害児だとわかり、当然大きな衝撃を受けた。その次に来たのが否定期である。私自身は起こったことは仕方がない、という呑気なタイプだったので、悲しかったが「どうしてうちに障害児が生まれたのか」とは思わなかった。しかし、夫はなかなか立ち直れなかった。医師ということからある程度将来予測ができるため、よけいに不安だったようだ。夜中にふと起きては将来を考え出すと心配で眠れなくなり、不眠症に陥ってしまった。(私はそこまで悲観的ではなかったため、ちゃんと眠った)

 双方の母親達にも、初孫が障害児になってしまったという衝撃は大きかったようだ。私にとって一番辛かったのは、「今までうちの家系にこういう子はいなかった」と否定されることだった。よく世間で聞く話だが、うちもその例外ではなかった。姑はともかく、母にもそう言われたときには二重にショックだった。

 よく、ドラマでは障害児が生まれて落ち込む若い母親に、周りの友人や家族が「そんなことでどうするの。あなたがしっかりしなきゃ駄目でしょ」と励ますシーンが出てくるが、嘘だと思った。現実は私よりも周囲の家族の方が落ち込んでしまい、それぞれの悲しみに手一杯で、とても私を励ましどころではないというのが正直なところだった。

 その上、私は友人達の中でも早く結婚し、早く子供を産んだ。しかも転勤で遠く離れている。友人達はほとんど未婚で、子供について、ましてや障害児については何の知識もないためか、たまに会い、さりげなく子供の話を出しても誰も何も言わず、それを受け留めてくれなかった。普通の母親なら「うちの子、こうなのよ〜」とかいった話をしたがるものだが、私だって同じだった。しかし、その話に乗ってくれる人がいなければできない。
  おまけに年賀状が来ると、同じくらいの年齢の友人の子供が、すでに立ったり歩いたりしている。わが子はまだお座りもできない状態なのに。…胸をふさがれるように辛かった。

 子供がころんでしまうと、初めはパフォーマンスも含めてワーッと泣く。しかし、いくら泣いても周りに誰も起こしてくれたり、慰めてくれる人がいなければ、泣きながらでも、自分で立ち上がるしかない。私はそういう子供と同じだった。自分の辛さは自分で乗り越えなければ、誰も助けてくれない。これは私が人生において直面した、大きな壁だった。
「現実はドラマじゃないんだ」ということをひしひしと感じた。

 
   
 
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