しかし、なんと生まれた女の子は3554グラムもあった!1618グラムだった涼歌の倍以上である。
それに、何と言っても生まれた時の分娩室の様子が全く違っていた。主人も立ち会い、小児科の先生は生まれたての次女を写真撮影してくれ、なんとも和やかな雰囲気。普通の出産って、こんな雰囲気なんだ、いいなあ…と感じた。
以前は全く縁がなくて憧れていた「母子同室」のドアをくぐる。出産した母子が同じ部屋で過ごすのだ。涼歌の時には、ずっと保育器に入っていたため、母子同室できるお母さんがうらやましかったっけ。でも、今回は私も母子同室できるぞー。わっはっは。(高笑い)
… しかしなかなか世の中、そううまくはいかない。赤ちゃんに黄疸が出て、3時間で新生児室に逆戻り。あ〜あ。
でもまあ、順調に良くなって5日目には母子共に無事退院できた。以前、1か月以上ホテル住まいをして病院に通ったのが嘘のようだ。
涼歌が障害児だからこそ、共に育つ兄弟の関係は貴重だと思っていたので、同じ女の子を授かることが出来、大変うれしかった。それにしても、次女の育児の楽なことといったら、比較にならない。母乳もガンガン飲んで、夜もよく寝てくれる。こんなに楽なの!?と、信じられないくらい。毎日何時間もリハビリに励んでもなかなか成長しなかった長女に比べ、次女の成長の早いこと。見る間にお座りをし、はいはいし、立つ姿を見て、「健常児は、ほっといても勝手に育つんだー」と、感心してしまった。
そして、次女の誕生は、私に完全なる精神の解放をもたらしてくれた。それまで、他人の子供を見るとどこかで比較して、涼歌が「○○できない」ことが辛かったのが、もうまったく気にならなくなってしまったのだ。兄弟でさえ、こんなに違う。ましてや他人をや、と悟りにも似た気持ちになれたのだ。
そして、つくづく感じた。子供とは、神様からの預かりものである、と。授かりもの、ではない。もらった、というのはどこか違和感がある。所有物ではないのだから。親は、神様に子供を預けていただき、大人に育て上げたら社会に返す。そういう役目を頂いているのではないだろうか?
では、どうして、神様は私にこの子たちを預けてくださったのだろう?
それはきっと、神様が「あなたならきっと大丈夫」と私を信頼してくださったからではないのだろうか。信頼してくださったからこそ、この子たちを預けてくださった。だとすると、私は、その神様の信頼に応えなければいけない。そう思うと、改めて「がんばろう!」という清々しい気持ちになれたのだった。
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