先生は大阪で小学校の教諭・校長などを勤められ、幼児教育と童話の研究の傍ら、執筆活動と全国各地での講演活動を続けられた。子どもの立場に立った優しい眼差しとソフトな語り口で「テレビ寺子屋」スタート時からのレギュラー講師をなんと23年間お勤めになった。
温かな語り口、母子に対する優しい目。それでいてユーモアたっぷりで、笑いながら話に引き込まれると
いつのまにかほのぼのとした気持ちで一杯になる。そういう先生だった。当時は土曜日の朝6時からの放映だったと思うが、かかさずVTR録画してチェックしていたものだ。
そのうちテレビだけでは飽きたらず、片っ端から本を購読しては読んでいった。その中に描かれている母親像は、明るくてたくましく、「こんな母親になりたい」と思わせるものだった。成績ビリの子供に「あんたみたいなビリがおるから、1等の子もできるんや、だいじない、だいじない」と言ったある母親。(私なら、こんなことが言えるだろうか?いや、こういう時こそ、そう言える母親になりたい…。)先生のご本の中で、私はあるべき母親像を学んでいったのだ。
「お母さんは明るくて、ちょっと抜けているのが一番いい」。先生はよくこうおっしゃった。それを聞くと、肩の力が抜けていく気がした。なあんだ、地のままでいいんだ。そう思うと、とても楽になった。
1〜2年ほどして、先生が高知に講演にいらっしゃるということをスーパーに張られたポスターで知り、申し込みをしていそいそと聴講に出かけた。せっかくなので「いつもテレビを楽しみにしています」というファンレターを書き、係の方に渡していただいた。その時にたすく先生が、「私はお地蔵さんが大好きで、全国のお地蔵さんを訪ねています。高知には、珍しい乳房のあるお地蔵さんがあるそうですが、どこにあるのかは不明です。どなたかご存じないでしょうか?」とお話しなさっていた。
高校時代の恩師が民話などの分野で有名な市原隣一郎先生だったため、早速お電話し、それが香北町にあるらしいということを突き止めた。早速その旨をお手紙にし、ついでに「土佐のお地蔵さん」という本も同封した。
たすく先生は驚いたことに、最初のファンレターに対して、すぐ丁寧なお返事をくださった。お地蔵さんの在処を書いた手紙にもお返事をくださり、私はお返事に「幸福のシミ」のお話をしたためた。「子供は神様から預けてもらったのだから、私はその信頼に応えなければならないと思う」という内容である。
すると先生は、「いい勉強をさせて頂きました。ありがとうございました。」と、若造の私なぞにお礼をおっしゃってくださった。その上、先生の自筆のお地蔵様の絵を贈ってくださったのだ。その後も何度か絵をいただき、全部で3枚所蔵しているが、今でも大切に額に入れて、保管している。 |