こうして保育所は長女にとって、第二の社会となり、なくてはならない存在になった。しかし、そこでの課題といったものも、やはり存在したのだ。
それは長女はやはり最後まで「お客さん」から抜けきれなかったことだった。
年長組にとって、最大のイベント「お泊まり保育」。次の「小学校」という社会への旅立ちのための、大きなステップとなるこの行事は、子供達にとっては誇らしい、憧れのものである。
しかしうちの場合は、「涼歌ちゃんは大丈夫ですか?」と聞かれることもなく、「なにかあってはいけないから」と「夜帰って、翌朝来てください」と言われた。冬でも裸足でトレーナー1枚で過ごし、風邪もひかなかった長女は「健康優良障害児」と家では呼ばれていた。もちろん夜間の発作もなく、お泊まり保育には何の支障もなかったのだが…。しかし入所の時に無理を言い、保育所に「行かせてもらっている」身としては、一抹の淋しさを抱えつつ黙って従うしかなかった。
しかし、次第に胸の中で「これでいいのだろうか?」という疑問が湧き上がってきた。このままこの子は何かの時には特別扱いを受け、ずっと「お客さん」でいなければならないのだろうか?ありがたいことに
「地元小学校で受け入れますよ」というお誘いを頂いていたが、ずっとそのことが引っかかり、「お願いします」と言えないでいた。特別扱いをされない、みんなと一緒の教育を受けられないものだろうか?
そこで、県内で唯一の自宅通学できる肢体不自由の養護学校、若草養護学校の体育祭に足を運んでみることにした。
初めて見る養護学校の運動会。衝撃的な出会いだった。そこでは小学部から高等部までの児童生徒が、それぞれの障害に応じて頑張る姿があった。
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