HOMEへ戻る 研究所案内研修プログラム実 績セミナー情報お問合せ
|WEEKLY “N”|T医師のひとりごとすずかの気ままにDO!
 
ウィークリーN

第117回●2005年2月15日(火)

足跡14 「待望のスクールライフ」


 こうして、若草養護学校入学プロジェクトが進行することになった。
  前述のように、高知県内で自宅から通学できる肢体不自由の養護学校は、高知市に隣接する春野町の若草養護学校だけだったこともあり、ここに通学するためには、またも引っ越しが必要になった。  

 そればかりではない。それに伴って、夫は郡部地域を回る医療公務員を辞めるという選択肢を選ばざるを得なかった。障害のある、まだ小さな子供を育てていく上で、できるだけ単身赴任は避けたかったからである。そこで夫は、南国市の重症心身障害児者施設「希望の家」というところに勤務することにした。高知県内の福祉医療に少しでも貢献できればと、彼も熱い思いを抱いていたようだった。

 4月、すべてを一新した生活が、高知市のマンションで始まった。夫は新しい職場、長女は新しい学校、次女は新しい幼稚園、私も長女と次女の送り迎えでてんてこまい、という生活だった。

スクールバスの中


 長女は家から1時間かけて、スクールバスで春野町まで通学することになった。果たして大丈夫だろうか、という不安はまったく杞憂だった。長女は毎日が遠足、といった雰囲気で上級生や介助さん達と話しながら、それは楽しそうに通っていた。

 入学した若草養護学校は、小学部の1年生が女子が4人、男子が3人で7人、先生も7人。完全なマンツーマン教育である。何と贅沢なことだろうか。担当の先生は2週間ごとに代わるが、ベテランの先生方が揃っており、何の心配もなかった。みんな大好きな「シーツブランコ」は朝の会での楽しみになり、そのほか、「ふれる・つくる・えがく」の教科での創作、料理、お店屋さんなど、毎日が楽しいことだらけのようだった。

 私はここで、先生の愛情溢れる子供達への接し方に触れ、大変感動したものだ。子供によっては障害が重度で、何の反応も返せない。しかし先生は優しく子供を抱えて見つめて話しかけ、まばたきすると「あ、今、返事をしたよ」と柔らかに笑う。教育の根本は愛情なのだということを目の当たりにし、本当に感動した。この学校を選んだことは間違いではなかった、と心の底から嬉しかった。

学級通信  7人の先生方は交代で、毎日学級通信を出してくださった。その愛情溢れる文面は本当にうれしく、1年間で130号にもなった。今でもそれは、大切に取ってある。個人の連絡帳と、学級通信のお陰で、クラスでの様子は手に取るようによく分かった。連絡帳の文面には爆笑することも多く、親も毎日読むのが楽しみだった。

 こうして、愛情溢れるクラスで過ごすうち、長女は次第に変わっていった。何が変わったかというと、自立心がはぐくまれてきたのだ。保育園では、彼女は常に「守られるべき存在」であり、みんなの後ろに黙ってついていけば良かった。しかし、養護学校では、喋れる生徒は必ずしも多くない。そんな中で、先生に想いを伝え、コミュニケーションを取るうちに「私が話せない友達の代わりに話さないといけない」という、お節介な思いが湧いてきたらしい。

 先生の影響も大いにあっただろう。クラス主任のB先生は、明るくてちょっとお節介焼きで、よく笑う先生だった。その先生の話し方、行動を知らず知らずに真似ていき、「ママ、明日おまんじゅう作るときのエプロンは入れた?」などと仕切るようになり、しまいには「ミニB」と言われるようになったほどだった。(まあ、母親が頼りなかったという説もあるが。)

 そしてこれこそが、私が長女に欲していたものだったということに、改めて気付いたのだ。「障害児だから」控えめになるのではなく、「障害の有無に関係なく、1人の人間として自由で、明るく生き抜く力を持って欲しい。」そんな願いが、この養護学校に来て、初めて満たされたのだった。


   
 
ご意見・ご感想お寄せください!
 
 
ページの先頭に戻る
人材育成研修・各種セミナー承ります。
Copyright(c)2002 人・みらい研究所 All rights reserverd.