こうして、愛情溢れるクラスで過ごすうち、長女は次第に変わっていった。何が変わったかというと、自立心がはぐくまれてきたのだ。保育園では、彼女は常に「守られるべき存在」であり、みんなの後ろに黙ってついていけば良かった。しかし、養護学校では、喋れる生徒は必ずしも多くない。そんな中で、先生に想いを伝え、コミュニケーションを取るうちに「私が話せない友達の代わりに話さないといけない」という、お節介な思いが湧いてきたらしい。
先生の影響も大いにあっただろう。クラス主任のB先生は、明るくてちょっとお節介焼きで、よく笑う先生だった。その先生の話し方、行動を知らず知らずに真似ていき、「ママ、明日おまんじゅう作るときのエプロンは入れた?」などと仕切るようになり、しまいには「ミニB」と言われるようになったほどだった。(まあ、母親が頼りなかったという説もあるが。)
そしてこれこそが、私が長女に欲していたものだったということに、改めて気付いたのだ。「障害児だから」控えめになるのではなく、「障害の有無に関係なく、1人の人間として自由で、明るく生き抜く力を持って欲しい。」そんな願いが、この養護学校に来て、初めて満たされたのだった。
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