12年前、小学部入学式の日。私たちと娘は大きな期待と、ほんのちょっぴりの不安とでこの日を迎えたものだ。学校に着くと、沢山の先生方が笑顔で「おめでとう」と出迎えてくださり、その不安は解消した。生徒7人のクラスに、先生も7人いらっしゃって、驚いたものだ。
そして体育館で、初めて聞いた若草養護学校校歌。(市川勝 作詞)
「1. 高坂城の空高く 映ゆる光を仰ぎつつ
互いに集う学びやに 若き命を育くまん
2.北山おろしすさぶとも まこと求めて温かく
たがいに歩む感激に 強く伸びゆく我等みな
3.鏡の川の水清く 流れゆく路 淀みなし
耐え抜く心胸にして 共に進まん 世のために」
驚いた。「世のために」ですって!?まだきちんとしゃべれるようになってから、わずか1年しかたってない我が子が、世のために何かできるとは、とうてい思えなかった。悪い冗談のようだ。養護学校の校歌としては不似合いなのではないか?世のためにどころか身辺自立すら危うい子供達なのに…。と、正直違和感を覚えたものだ。
12年間もこの学校に通っていると、いつの間にか自然に、校歌を自分も口ずさむようになっていた。校歌を歌えない我が子の代わりに歌わなければ、という意識もあったと思う。
月日は流れ、長女は高等部卒業式では、校歌を堂々と大きな声で歌った。
「耐え抜く心胸にして 共に進まん 世のために…」
その顔は、輝いていた。これからの希望に満ちあふれていて、涙一つなかった。
私は、その顔に教えられたように思った。
この学校においてこそ、「世のために」という、高い志が必要なのだと。「障害者だから、世の中に貢献しなくてもいい」ということではない。障害者なりの貢献の仕方があるはずだ。それを見つけようとする、高い志が必要なのだと。
そう思った時、この校歌は私の中で、素晴らしいものに変わった。
私自身のとらえ方が変わったのだ。
かつてJ.F ケネディ大統領は、就任演説でこう語った。
「あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。わが同胞の世界の市民よ、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、われわれと共に人類の自由のために何ができるかを問おうではないか。」
この解釈にはさまざまあるだろうが、こう置き換えられないだろうか。
「世の中が障害者のために何をしてくれるかだけでなく、障害者も世の中のために、何ができるかを問うことも大切なのではないか。障害者も、人類の自由のために、何ができるかを問おうではないか」 と…。
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