長女が障害児だったので、「次の子供を妊娠するのは恐くない?」と聞かれたこともあったが、そういう心配はしなかった。
むしろ兄弟がいた方が、家庭内での人間関係もふくらむので、望ましいと思っていた。そして3つ違いの次女が誕生した。
次女はまだ1歳のものも言えない頃から、よくお手伝いをしてくれた。長女の介護で「ティッシュとってー」と言うと抱えて持ってきてくれる。我が家では彼女を「小さな看護婦さん」と呼んでいた。
しかし、障害児の兄弟というのは、甘えたい時に甘えられない淋しさもあったと思う。それはよく理解していたつもりだったので、可愛がれる時にはおおいにスキンシップをとるなど、バランスを心がけていた。
長女が若草に入学のため高知市に戻り、次女が幼稚園の頃のことだ。連休中、城西公園での催しに行くことになっていたが、雨が降ったため、「今日は中止にしよう」ということになった。
ところが次女は「行きたい」と、泣いて駄々をこねた。「雨が降ったら、お姉ちゃんは車いすだから濡れるし大変でしょう」と言うと、「いやだ、行きたい!お姉ちゃんなんか、どうでもえい。」と泣き続けた。「どうしてそんなこと言うの。お姉ちゃんの気持ちになってみなさい」
「お姉ちゃんの気持ちなんて、わからんもん!」と反抗する次女。
「…そうやね、お姉ちゃんの気持ちはあんたにはわからんよね。」と私は静かに言った。
「いつも寝ているお姉ちゃんの気持ちは、わからんよねえ。じゃあ、今日は一日、お姉ちゃんの気持ちが分かるように、お姉ちゃんと同じに寝て過ごしなさい!!」瞬間、次女はしまった、と思ったのだろう。「ごめんなさい、私が悪かった。お姉ちゃんの気持ち、よくわかりました」
「いーや、あんたはわかってない。今日はお姉ちゃんと同じように、お母さんがご飯も食べさせるし、トイレも連れて行くから」「ええ、トイレも!?いやだ、恥ずかしい」「恥ずかしいって、お姉ちゃんはいつもそうでしょ。いやでもそうせんといかんの。お姉ちゃんと同じように過ごしたら、お姉ちゃんの気持ちも少しは分かるでしょう。」
こうしてその日は抱っこして次女にご飯を食べさせ、トイレもお風呂も連れて行って全介助で過ごさせた。「お姉ちゃんは寝返りも出来ないから、昼寝の時にも動かないで寝なさい」と言うと、いつもすごい寝相だったのに、きちんと上を向いたままで寝たのには笑ってしまった。そして、その晩。
「どう?寝てばかりのお姉ちゃんの気持ち、わかった?」と訊くと次女は、「わかった。よーくわかった。私もう、お姉ちゃんに意地悪言わない」と神妙に答えていた。お姉ちゃんは寝てるから楽だろうと思っていたが、動かないで寝てばかりいることがこんなに大変なことだとは、と堪えたのだろう。それを聞いた長女が横で「わかったかえ。」といばっていたのが、また笑えた。
(今も次女は、「あれは悪夢のようやった。あんなに不自由なことはなかった」と言っている。)
次女は小学校入学時には「お姉ちゃんの学校に私も行きたい!」と主張し、「それは無理だと思うよ」と言うと「お姉ちゃんの学校は先生がいっぱいいて、いつも楽しそうなのに。いいなあ」と不満そうだった。
そんな次女も大きくなり、中学校卒業を迎えている。小さな頃からお手伝いし続けた反動か、一時期お手伝いを面倒くさがってしなくなっていたが、そういう時期もあるだろうと静観した。今はまた、私が腰痛の時には一緒に長女を抱えて介助の手伝いをしてくれるようになった。
(ただ、まだいつも、とはいかないが。)
小学校5年生の頃に次女が長女について書いた詩。
「私のお姉ちゃん」
私のお姉ちゃんが時々うらやましくなる
お姉ちゃんはいいな。
先生をひとりじめ。
お姉ちゃんはずっと先生と一緒にいられてかまってもらえるし、
一人の先生が休んでもクラスに先生がいっぱいいる。
私の先生は勉強の話ばっかりするけど
お姉ちゃんの先生は遊びとかテレビとか
何でも話し相手になってくれる。
でも実は私のお姉ちゃん、手も足もうまく動かない
一人で歩けないし、走れない。
私はそんなお姉ちゃんを
自由に走らせてあげたい。
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