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ウィークリーN

第124回●2005年4月3日(日)

 足跡20 「一番しんどかった夏休み」




 仕事は始めたけれど、最初の年は年間でわずか10回未満と、かなりのんびりしたペースだった。お陰で最初は、仕事に関する障害は取り立ててなかったと言える。
 それよりも深刻だったのは、養護学校が夏休み期間中の乗り切り方だった。

 学校では先生は体重の重い子は2人がかりで移動させる。しかし、家庭では1人だけだ。夏休みは40日あまりあり、登校日はない。(1日だけのキャンプなどの企画はあったが。)夏休み期間中はほとんど私1人だけで介護するため腰を痛めてしまい、最後は親子共々寝込んだり、ボロボロになっていたものだ。

 この頃、まだ社会的に障害児を預かってくれるところは高知市では子鹿園(現:療育福祉センター)という施設しかなかった。しかも今のようにリフレッシュは認められていなかった。それこそ入院・冠婚葬祭などに限って預かってもらえたのだが、「預かってもらえるでしょうか?」と気兼ねしながら尋ねたものだ。施設の都合で、「その日は満杯です」と、預かってもらえないことも珍しくなかったのだ。

 実はその頃私は、体内に爆弾を抱えていた。卵巣膿種(のうしゅ)である。ある日、お腹に突然激痛が走った。脂汗がにじみ、体をエビのように曲げないといられない。あわてて病院に連れて行ってもらうと、待っている間にケロッと治ってしまった。調べてみると「卵巣に液体が入った袋ができ、それがねじれて激痛を起こす」「いつねじれるかはわからない」ということだった。ホルモン治療も半年間試みたがあまり小さくならず、結局切除することに。ただ、開腹ではなく、内視鏡の手術を選んだので、手術期間も1週間あまりですんだ。

 その間、涼歌の送迎ができないので10日間あまりショートステイに預けた。手術は夏休み直前の期間を選んだ。なんとか術後も順調に回復したため、1学期最後の終業式だけは出させてあげようと、学校に連れて行った。ところが、これがとんでもない裏目に出た。なんと、わずかその数時間でおたふく風邪だった先生から感染してしまったのだ。(先生からその晩、発病したと連絡があった。)

 不安は的中し、涼歌も感染。まるで福助のように顔が腫れ上がった。お陰でショートステイには断られ、泣きそうになりながら切ったお腹で抱っこしたり抱えたりの介助をするはめになった。縫った傷口が開いたらどうしよう…という不安と、力を入れるたびに痛むお腹。この時は、本当に辛かった。運が悪いとしか言いようがないが、お陰で回復も遅れるし、夏休みの家族の予定もキャンセルしたり、変更を余儀なくされたり。最悪の夏休みだった。

 今は病気の子供も預かってくれる施設ができている。介護に疲れたお母さんがリフレッシュできるようにと、リフレッシュのためのショートステイも認められている。でも、私としてはもっと学校を活用してほしい。長い夏休み、せめて3日間ぐらいは登校日を作ってもらえないだろうか?そういう働きかけもしたが、学校の反応は鈍かった。新しい負荷が増えるのは誰しも嫌なのだろう。そのため、保護者が中心になって、長期の休みに障害児を預かるシステムを立ち上げた養護学校もある。

 しかし、あえて苦言を呈したい。養護学校の先生は、もう少し夏休み期間中、障害児とその保護者達に手をさしのべて欲しい。普通学校に比べ、養護学校は夏休みの進路指導も、補習も、補導巡回も、クラブ活動もない。ならば、もう少しサポートできないはずはないと思う。今の時代、民間企業なら必死で生き残りやサービス向上のため、努力している。優秀な養護学校の先生に、そういうことができないはずはない。


 

   
 
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