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ウィークリーN

第193回●2006年7月30日(日)

 「追手前高校の伝説」


 先日、追手前高校に行ってきました。(とは言っても仕事ではなく、次女の三者面談でしたが。)
 さて、追手前と言えば写真の時計台が有名ですが、実はもう一つ、秘めたる伝説があるのです。

 追手前の校舎は古い建築物です。何年前に建てられた物だと思いますか?今年で、何と76年になるようです!私が通っていた30年前でさえ、もう十分アンティークでしたが。もう一つ残っていたレトロな小津高校の校舎が建て替えされてしまった今、とても貴重な建築物になっています。
 例えば階段の手すりもどっしりとした重みがありますし、校舎は独特の古くさい木の匂いがします。今では、もう他の場所ではかげない、どこか懐かしい匂いです。
 ところでこれは 私が高校1年の頃に、K先生から聞いたお話です。
 あえて場所は特定しませんが、このひっそりとある古い扉は、地下に降りていく入口だというのです。追手前高の地下には、大きなプール(水のたまった場所)があるというのです。でも、扉には鍵がかかっていますので、開きませんけどね。
(これ、聞いてみると次女はもちろん、卒業生である夫さえも知りませんでした。)
 その先生は当時目を輝かせて、「時計台なんかより、僕はずっとこっちに行ってみたい。ずっと光を拒んできた場所には、どんな生物がいるんだろう?」と語っていたものです。当時の私は(そんな怖そうな所よりも、時計台の中に入ってみたい!)という夢を持っていました。屋上も時計台も鍵がかかっていて、おいそれとは入れませんでしたから。

 その後、NHKに入り、時の記念日の企画としてこの時計台を取り上げることを提案、念願かなって時計台の中に入ることができました。中は金属の急な階段だけ、時計の機械は拍子抜けするほど小さく、文字盤の直径は両手を広げたくらい(1.6mほど)あったと記憶しています。

 この時計台、今の校舎ができた昭和6年に、一緒につくられたものだそうです。(県立高知城東中学校と呼ばれていた時代です。)よく戦争や、南海大地震を無事にくぐりぬけてきたものですね。「南海大地震の時には、時計台が左右に揺れた」という話も聞いたことがあります。
 こういう伝説があるほど古い伝統と歴史を持った追手前の校舎。この時計台も、できればずっと残して欲しいものです。
 

高知追手前高等学校
  追手前は、明治の初め頃にその前身ができ、明治11年11月19日に「高知中学校」として独立したのが始まりです。高知の旧制の中学では一番の古い歴史を誇る学校で、その後「高知県尋常中学校」、「第一中学校」と名前が変わり、大正11年から「高知県立高知城東中学校」となったそうです。
 昭和23年、「高知県立高知新制高等学校」となり、昭和24年から現在の「高知県立高知追手前高等学校」となりました。以前の記録で見たのですが 、明治期の木造の校舎時代から、やっぱり時計台はあったそうです。日曜市に面した追手筋にあり、追手前=時計台、というイメージは強く県民に浸透しています。

 
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