HOMEへ戻る 研究所案内研修プログラム実 績セミナー情報お問合せ
|WEEKLY “N”|T医師のひとりごとすずかの気ままにDO!
 
ウィークリーN

第198回●2006年9月3日(日)

 「追手前高再び:校内探検ツアー」


 この週末は、追手前高校の文化祭でした。数十年ぶりに見に行ったら、面白いものがありました。先生による「校内探検ツアー」です。
早速申し込んで、参加してきました。

 まず最初は定番の時計台です。以前(193回「追手前の伝説」)の写真とは違い、今度は屋上からのショットです。写真でも分かるように、屋上からでもかなり高く、17.5mあるそうです。3階建ての校舎の屋上までが12mですから、合わせて30m近い高さになります。(左下の人物と比べてみて下さい)
 これが時計台の内部です。以前(20年以上前)、NHKにいた時に取材に来たのですが、その時は殺風景な鉄骨だけでした。しかし今は、見学できるように内部を整えてあります。ただし、ハシゴには「立ち入り禁止」の張り紙が貼ってありましたが。
 この鉄骨の階段が上まで続いているのです。以前は上までずっとつながっていたのですが、今は各階に木の間仕切りができていました。2階から上はガランとしています。
 ハシゴ越しに、上を見上げてみました。4階のところが一番上で、そこから外に出られるようになっています。時計台の欄干は平成16年に取り替えられたようですが、高さは60cmくらいだったでしょうか。かなり低くて落ちそうで、危ない気がしたものです。

 次に校長室に行ってみました。この校舎は、卒業生の浜口雄幸が首相になったお祝い?に当時の県財政を傾けて造ったとか。76年前の建物ですが、この部屋は戦前、貴賓室だったそうです。皇族がいらっしゃった写真なども資料室にありました。天井や壁にモールディングと呼ばれる石こうの飾りが施されていますが、もう古いのではがれて落下してきているようです。
 そして、驚くのはこれです!なんと、第二次世界大戦時の弾の痕が壁に残っているのですよ。窓の下、右の方をよく見て下さい。
 「弾痕1945」って、すごいですねぇ。弾が床から跳ね返ったのでしょうか、窓枠に2cmほどの大きさで穴が開いていました。まさに歴史の生き証人ですね。
 そしてもう一つ、193回「追手前の伝説」で書いた、謎がとけました!
 追手前の地下構造の絵があったのです。ここの地盤は泥土でゆるく、下の岩盤まで15〜25m鉄筋コンクリートの柱を打ち込んであり、その上にお盆のように基礎を浮かべ、そこに水がたまっているのだそうです。水は澄んだ水で、「金魚池」とも言われていたとか。(事務員さんが以前、落ちたという情報あり。)校舎は「下駄履き」であるとか言われてたそうですが、絵を見るとまさにそういう感じですね。

 最後は芸術ホール地下の校史資料室です。よろい兜から貴重な資料まで、様々な物が陳列されています。そこで懐かしい物を見つけました。
 昭和60年に建て替えられた、昔の講堂の模型です。昭和59年度文化祭で、当時の3年2ホームが割り箸を使って作った「さよなら講堂」の作品です。正面の白いギリシャ風の柱は、当時から憧れでした。
 在校当時私は演劇部だったので、このステージに立ったものです。昔の建物なのでそれは風格があり、古めかしい匂いや、曇りガラス越しの光まで覚えています。
 今回初めて知ったのですが、この校舎はドラマのロケでも使われていたようです。「海がきこえる」(1995年)、作品のロケ地紹介にも載っています。 思いがけない発見がたくさんあり、さすがは歴史ある建物だと誇らしく感じました。
 ご案内下さった先生方、本当にありがとうございました。
 
ご意見・ご感想お寄せください!
 
 
ページの先頭に戻る
人材育成研修・各種セミナー承ります。
Copyright(c)2002 人・みらい研究所 All rights reserverd.