|
お盆のこの時期、あちこちで同窓会が開かれますね。
追手前高校は、卒業30周年記念同窓会を代々行う習わしになっているそうです。昭和53年卒業生も、今年有志が献立てくれました。面白いなと思ったのは、同窓会に先立って、校門前に集合すれば校舎の見学ができる、という企画でした。
当日、校門前に行ってみると「え、この人達も?なんかおかしい…」という方々が。伺ってみると、なんとこの日は昭和20何年卒業、40何年卒業、そして私たちと、3組もの同窓生が見学に訪れたとのこと。こうした見学申し込みはこの時期、多いのだそうです。 |
|
実は以前にも何回か追手前高については取り上げたのですが、結構反響が大きいので、今回ウイークリーNトップの下の方に、「追手前高校シリーズ」でまとめました。よろしければご覧下さいね。
さて、私が在校時一番好きだったのはやはり時計台ですが、その次がこの廊下でした。まるでモノクローム(白黒)の映画のようで、この奥行きを感じさせる構図がたまらなく好きでした。 |
|
見学ルートの中で、芸術ホールの地下にある資料室に
またお邪魔しました。ここは面白いものの宝庫ですので今回もいくつかご紹介しましょう。 |
|
この写真は大正10年の卒業写真。以前の古い校舎と時計台が写っています。
これで驚いちゃいけなくて、明治22年という写真もありました。それはさすがに古すぎて 色あせていて、紹介できませんでしたが・・・。 |
|
これは大正12年、梨本宮殿下と添え書きが書いてあります。梨本宮って、どなたなのでしょう?調べてみると、1947年に皇籍離脱した宮家でした。
この方が、以前にも紹介した貴賓室でお休みになったのでしょうね。 |
|
これは昭和17,8年頃の時代を映した写真です。体育祭でしょうか、目隠しをした生徒が箱を叩こうとしています。当時は第二次世界大戦まっただ中。鬼畜米英、と呼ばれた敵の大将の似顔絵が描かれているようです。
この先輩方は戦争を生き残れたのでしょうか?心が痛みます。 |
|
ところで、今回新たな謎が浮上してきました。屋上の東隅にひっそりとある、これは一体何なのでしょう?上の方には、菊の御紋跡のようなものも残っています。 |
|
扉には、金庫のようなツマミもついています。同級生が好奇心で開けようとしましたが、さび付いていて開きませんでした。なんとなく、開けない方がいい気もして、立ち去りましたが、こんなもの私たちの時代にはあったのかな?早速、卒業アルバムで調べてみました。すると・・・ |
|
ありました!写真上部に、確かに写っています。
調べてみると、「奉安殿」といって、 昔、天皇・皇后両陛下のお写真や教育勅語などを収納保管していた場所があったそうです。多分、それではないでしょうか?
|
|
追手前高校の校舎は昭和6年に建設、以来77年目を迎えます。もちろん、耐震基準の規定にもかからないほど古い物ですが、壁の厚さは通常の2倍もあるとか。昭和の南海大地震や、戦争にも耐えてきました。今年、耐震診断を受けるそうです。
朝日新聞の記者の同級生Uくんが「阪神大震災の時、やはり昭和初期に建てられた神戸市の御影公会堂はびくともせず建っていた」と教えてくれました。調べてみると御影公会堂は、完成後75年。追手前の校舎と、ほぼ同期と言っていいでしょう。昔の建物は、頑丈にできていたのでしょうね。 |
|
さて、場所を移動して、同窓会本番です。なんと、追手前の現副校長が同級生と知ってビックリ!今回の出席者は150名ほど。私たちの頃は1学年12ホーム、500名ほどでしたから、まずまずの集まり具合かな?
(ちなみに今は、 1学年7ホーム、280名ほどだそうです) |
|
卒業以来、30年ぶりに会った友人も少なくありません。「えー!この人が○○君?」とびっくりしたことも…。(笑)私を専業主婦からこの道へ導いてくれたMさんとも、10年ぶりくらいに再会し、話が弾みました。
改めて感じたのは、こうして元気に集まれることこそが幸せなことです。追手前の校舎のようにいつまでも変わらずとはいきませんが、前向きに年を重ねたいなと思ったことでした。
|
|