第321回●2009年1月18日(日)
「50歳記念 台湾同窓会旅行A」
次に、中正紀念堂へ。元総統・蒋介石の像や音楽ホールなどがあり、台北のシンボルとも言うべき建物だそうです。門には「自由廣場」の文字。政権政党が変わるとここの名称が変更になったらしく、2007年には「中正紀念堂」から「台湾民主紀念館」へと名称変更、2008年に政権が再び国民党に移ったことから、再び「中正紀念堂」になったとか。 こういういきさつを聞くと、外国なんだなあ、と感じました。
お昼は日本にも支店がある、有名な「県泰豊」で小籠包(ショウロンポウ)と台湾ビール。予約が取れないので、列を作って店の外でメニューを見て、オーダーしておきます。総勢13人なので、二手に分かれて座ることに。小籠包の老舗らしく、食べ方を日本語で説明してありました。これで180元(約510円)。さすがのおいしさでした。
ちなみに、鄭くんは小学校低学年の頃日本へ来て、中学校の時は日本語しかしゃべれなかったそうです。 彼が台湾に帰国した1973年頃は彼にとって大変な時代でした。1972年に田中角栄が日中共同声明に基づき、中華人民共和国(中国)と国交を結び、それまで国交のあった中華民国(台湾)には断交を通告したのです。台湾では反日の嵐が吹き荒れ、鄭くんは日本を懐かしく思っても、それを世間が許さない状況でした。彼は、どんなにか辛かったことでしょう。
高校時代の文通でのこういった経緯を思い出すと隔世の感があり、つくづく平和の重みを感じます。今はこうして2つの国を何の問題もなく行き来できることが、本当にありがたいことなのだと感じずにいられません。
帰ってから、鄭くんが「同窓会は、もしかしたら、3Aのお祭りかもしれません」という名文をFAXしてくれました。本当にそうだと思います。そしてこれからも、私たちはこのお祭りを続けていこうと思っています。鄭くん、皆さん、本当にありがとうございました。そして日本と台湾が、これからも友好関係でいられますように。