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第366回●2009年12月6日(日)

 「祖母を見送って」 

 先週の木曜日、母から電話が入りました。
「おばあちゃんが危ない。」すぐ来て、という言葉こそ飲み込んではいましたが…。急いで打ち合わせを切り上げ、入居しているグループホームへ急ぎました。

 祖母は下顎呼吸と言って、下顎を使ってあえぐ呼吸をしていました。父が亡くなる前もこういう呼吸だった、と母は張り詰めていました。「看取り部屋」なる部屋に初めて移動し、「ご家族を呼んでください」と言われました。

 過去、何回かこういう事はありましたが、祖母はそのたび驚異の回復力で持ち直し、明治女の気概を見せました。覚悟していたのですが、その日も、そうでした。ホッとして、家に帰りました。

 祖母は満98歳。来月の誕生日で、数えで言うなら百歳なのです。70歳過ぎまで現役で看護婦をし、そりゃもう元気でした。私の長女が生まれた時も黙って寄り添い、ひ孫の育児を手伝ってくれたことをなつかしく思い出します。まさに慈愛の人でした。しかし数年前からは寝たきりになり、意思の疎通もできなくなっていました。体はチューブで栄養を入れているため安定していたのですが、心と体が別々になっているような気がしていました。

 そしてついに昨日、命の火が消え入るように 亡くなりました。大往生で、「昔ならお客(宴会)だ」との声も出たほどです。大阪や京都から親族を呼び寄せ、お葬式の段取りです。祖母は「自宅で、簡素に葬儀をして欲しい」というのが願いでした。そのため、葬祭会館での葬儀は見送り、昔ながらの自宅のお葬式となりました。

 今日はお通夜。映画「おくりびと」で見たように、女性の親族が見守る中、湯かんをしてもらいました。座敷に浴槽が置かれ、葬儀社の女性社員の方が丁寧にマッサージするように洗ってくれ、祖母は気持ちよさそうでした。おごそか、とも言える時間が過ぎ、その後のお化粧と身支度で、祖母は本当に綺麗に見えました。これでやっと不自由な体からも解き放たれたのかもしれません。

 今から10年前、祖母の88歳の米寿のお祝いの時、私は祖母から聞き取った人生史を編纂しました。昨日それを思い出しパソコンを探してみたら、なんと最初の2ページしか残っていません。大ショック!でも、印刷したものがあったはずだと探し、スキャナーで読み取り少しだけ手直しして、今日 改めて配らせて頂きました。

 わずか8ページの小冊子ですが、祖母の人生がぎっしり詰まっています。元気だった頃に少しずつ聞き取ったもので、私もなつかしく読みました。当時 祖母に読んで聞かせると自分が話したことをすっかり忘れて、「まあー、おまさん(あんた)、どうしてこんなことを知っちゅう?」と目を丸くして、驚いていましたっけ。(笑)

 集まってくださったみなさんは、とても喜んでくださり、祖母の楽しい思い出話に花が咲きました。そう言えば、こういう親族が一堂に集まることは、何年ぶりでしょうか。子どもにとっては色々な大人の話を聴ける、貴重な機会です。大学生の次女にはそういう機会はほとんど初めてで、新鮮だったようです。


 最近の新聞記事で、「長生きする人は、性格が大らかである」というものがありましたが、祖母はまさにそうでした。「あたしゃ、百まで生きる!」と宣言し、細かいことにクヨクヨせず「今日がなけりゃあ、明日がある」というのが口癖でした。そういう生き方は、私の目標でもあります。

 「そう言えば、祖父母の場合は喪中欠礼状はどうなるのだろう?」と疑問に思い、調べてみました。同居している二親等(祖父母・兄弟姉妹・孫)の場合は喪中欠礼状を出すようです。(一般的に祖父母の場合は、気持ち次第で良いようです。) 喪中欠礼状は本来、12月初めまでに出すものでもあり、この際ビジネスとプライベートは分けることにしました。プライベートは喪中欠礼を出し、ビジネスは通常のご挨拶状を出すことにしました。

 明日はお葬式です。それにしても、仕事が入っていなくて本当に良かった!父の葬儀の日には研修が入っていて、大変難儀したことを思い出しました。最後までそばで見送れることだけが、わずかなおばあちゃん孝行でしょうか…。


 
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