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岩手県宮古市から、うれしいお便りが届きました!
野球部へボールを寄贈した、岩手県立宮古商業高校と岩手県立宮古工業高校より、お礼の手紙が届いたのです。
宮古工業高校は部長の佐々木先生から、宮古商業高校は主将の藤岡 諭君から頂戴しました。そのうち、
宮古商業高校の藤岡君からのお手紙をご紹介させて頂きます。 |
「拝啓 ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。
この度はボールなどの寄付ありがとうございました。練習で大切に使わせていただいています。
震災直後は練習場所も限られ、選手の中でも被災した人がいて、練習もなかなか行える状況ではありませんでした。
しかし、たくさんの方々に支えられ、今では全員の気持ちを一つにし1 夏の大会に向けて、日々精進しています。
今から暑い時期になりますので、皆さまもご健康に留意され、ご活躍ください。
まずは、お礼とさせていただきます。
敬具
岩手県立宮古商業高等学校野球部一同」
うーん、高校生なのに、なんてしっかりとした文章なんでしょう!すっかり、感心させられてしまいました。震災で大変な中、これだけの文章が書けるとは…。スポーツマンシップを見せてもらったようで、とてもさわやかです。お役に立てて光栄です。
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さて、こちらはプールバッグとバスタオルをお贈りした宮古市立鍬ヶ崎(くわがさき)小学校からのお礼状です。笹川校長先生から、丁寧な文面のご挨拶状を頂きました。
心を打つ文章ですので、みなさまにもぜひご紹介させてください。
(このコラムの最後に掲載しています。) |
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そして校報「うしお」も2号、同封されていました。
震災後の町並みが悲惨に変わり果てているのは、元の街並を知らない私が見てもショックでした。まして、街のみなさんにとっては、どんなにか心の痛む日々でしょう…。
でも「復興へ向けて、歩き始めました。」という文章と共に、6月11日の運動会の写真も載っていました。「困難を乗り越え、頑張っていきます。応援、よろしくお願いします。」
はいっ、応援しますとも!!!
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可愛らしい3年生と6年生の児童代表からの手紙も同封されていました。
色鉛筆できれいに色を塗り、自分の言葉を綴ってくれていました。 |
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ミニタイガープロジェクトさんへ
○プールの道具はまだ使ってないけど、せおった時にかるくてかわいくて、その日はうれしくてたまりませんでした。これから学校でプールがはじまります。私はプールが大すきです。プールどうぐをくれてどうもありがとうございます。はやくみんなのえ顔が見れるといいですね。
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○被災した後多くの方々から支援物資が届きましたが、プール道具は届けられてませんでしたので、
届いてとてもうれしかったです。大事に使っていきたいです。
○私は鍬ヶ崎小学校の最高学年として、下の学年の手本となり、地域の笑顔が少しずつでも増えるように、
まず自分が笑顔でいることを心がけたいと思います。
○今はぼくたちが、全国のみなさんに助けてもらっているけど、これから、みなさんが困っていることがあったら
今度は、ぼくたちがみなさんを助けたいと思います。・・・
読んでいて、笑顔になったりホロッとさせられたり…。鍬ヶ崎小学校のみなさん、ありがとうございます。
ちなみに宮古市の榎本はこれらを全部カラーコピーしてから、こちらへ送ってくれました。 その気持ち、分かります!
これを読んでいると、たくさんのお礼状を書いたり出したり、先生方も子どもたちも大変じゃないかしら?とちょっと心配になりました。疲れが出る頃だと思いますので、お体を大切にと思わずにはいられません。
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色とりどりのバスタオルを手に、微笑んでポーズを取ってくれる子どもたち。
心がなごみます。
大変な時の体験は、将来周りの人への優しさという大切な精神的財産にきっとなると思います。今は苦しいでしょうが、全国の皆さんが応援しています!
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支援頂いた皆様
今回の震災に伴い、たくさんの方々から様々なご支援を頂き、心より感謝申し上げますとともに、お礼が遅れましたことを深くお詫び申し上げます。
すさまじい土煙とともに大津波の襲ったあの日、3月11日。鍬ヶ崎の街が崩壊し、一変した景色になるなど、まったく想像もできませんでした。
大きな地震で校庭に避難し、更に「大津波警報発令」の声で、高台にある第二中学校への避難を行おうとしました。しかし、消防の方の「二中まで間に合わない。日影坂もくずれている。熊野神社へ逃げろ」の指示で、二次避難場所である熊野神社に大急ぎで避難しました。津波の勢いは早く、避難した神社の石段まで押し寄せあわてて更なる高い場所へと逃げたほどでした。そんな中でも、全校児童が無事避難できたことは本当に喜ばしいことだと言わざるを得ません。
保護者からの迎えを待つ2日間、電気も暖房もなく、真っ暗で冷え切った家庭科室で不安げな30名あまりの児童とともに励まし合いながら肩寄せ合って過ごした夜。12日に最後の一人を送り届け、ほっと肩の荷を下ろしたことを忘れません。
3月16日に卒業証書を渡した6年生には、十分な卒業式もやってやれず、申し訳ない思いでいっぱいです。
あれから1ヶ月半あまりたった4月25日に学校を再開いたしました。26日には、体育館が避難場所になっているため、狭い音楽室での入学式となりましたが、29名の元気な1年生を迎えスタートしました。家が被災し避難所に住んでいる子、親戚の家に身を寄せている子、そして転校を余儀なくされた子と様々な環境でのスタートとなりましたが、
218名の子どもたちはみんな元気です。
奇しくも3ヶ月後となった6月11日に運動会を実施しました。子どもも大人も地域も元気になってもらいたいという思いで、保護者、高齢者、地域の方々に出て頂く種目を増やし、「地域参加の楽しい運動会」めざして一生懸命取り組みました。運動会終了後すぐに、校庭に仮設住宅の建設が始まるため、ここ何年かは運動会ができなくなるかもしれないということで、子どもたちも「最後の運動会」と気合いが入っていました。心に残る、忘れられない運動会となりました。
鍬ヶ崎の街もがれきの撤去が進み、徐々に復興への道を歩み始めました。学校も、元のように子どもたちの元気な声や笑顔あふれる学校生活めざして取り組んでいます。あたりまえのことがあたりまえにできる幸せを噛みしめながら、ご支援いただいた皆様のあたたかいお気持ちを忘れずに、職員一同、努力して参ります。
末筆ながら、皆様のご健康をお祈りし、お礼の挨拶といたします。
(ここからは手書きです。)
ミニタイガープロジェクトの皆様、ご支援、本当にありがとうございました。お礼が遅くなり、大変申し訳ありません。
3年と6年の児童の手紙を代表として同封しました。皆様にもよろしくお伝えください。
校長先生ご自身も大変でいらっしゃる中で、学校の管理・責任者としての苦難と責任感が伝わり、同時に子どもたちへの愛情に溢れた文章に胸を打たれました。全国の先生方にも、広くこの文章をご覧になって頂けたらと思います。
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