(中村 覚) |
前回、前々回と「15年ぶりの入院〜前編・後編」で、入院に至る経緯から退院までについて書いてみました。実は11月の退院から、3週間程してまたすぐ入院になりました。(2週間の入院ですみましたが。)前回手術をした箇所のすぐ隣を切開する必要があったためです。ということで今回は、合計1ヶ月ちょっとの入院生活での雑感を書いてみたいと思います。題して、入院中のエトセトラ。
入院当初は大部屋(6人部屋)で、私のベッドは入り口側で、ほとんどがご高齢の方でした。入院生活が長くなると、とどのつまり暇です。暇にまかせて行き着くところは読書です。ところが、本を読むには昼間でも部屋全体が暗いのです。頭元に設置されてある蛍光灯を点けても暗いのです。
というのも、部屋の皆さん、それぞれが自分のベッドを囲うカーテンを昼夜問わず閉め切っているからです。本来は看護師さんが処置をする際に、「他の患者さんから見えないように」という意味での個々のカーテンだと思うのですが〜。しかし平常時でもプライバシーの観点(?)から、皆さんと閉ざしています。こうなると窓際から一番遠い自分のベッドには、自然光がたいして入ってきません。(あくまで読書を基準に考えた場合の明るさです) |
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本を読む気もしないまま、数日が経過したある日、隣の方が退院し、真ん中のベッドが空きました。「これは
シメた!」と思い、看護師さんに頼んですぐに移りました。真ん中のベッドは窓際に近い分、少しは明るくなりました。目指すは窓際です。 |
それから数日が過ぎたある日、右斜め前の窓際の患者さんが「昨夜は寒かった〜」と看護師さんにうったえていました。この方は高齢でもありますし、確かに窓際は若干寒いでしょう。でも私にすれば、直に光が差し込む窓際は羨ましい限りです。「それなら、(自分と)代わって欲しい」と思いましたが、もちろん口に出せるわけもなく、日にちは過ぎて行きました。
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2回目の入院の時には、運よく最初から窓際だったので本当に嬉しかったです。これで目も直ぐに疲れることなく、本も読める!
明るいって有り難いなぁ〜。
思えば、この度の闘病生活は光を求める日々でもあった・・・ 悦に入る私。 |
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次は食事についてです。2回目の入院では初日から3日間は、ベッド上での安静度は前回よりも高かったです。そのため体の向きをほとんど変えないで食事を取る必要がありました。
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そこで病院側が工夫してくれたのがこちらです。
出てくるおかず一品、一品に串が刺してあります。しかも丁寧に2本ずつです。これは本当に助かりました。2本なので、手に取った時の安定感が違います。1本だと抜け落ちたり、回転したりと不安定ですよね。このやり方は病院食に限らず、家でも使えると思いました。ちなみにご飯はおにぎりになっていました。 |
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最後はこちらです。術後、体に付けていたチューブです。切開した部分にチューブを付け、そこから不要な分泌物や血液を排出していました。チューブ内で血液が固まってしまい、流れが悪くなることがあるので、看護師さんが、一日に何度かは、しっかり流れているかどうかのチェックをしてくれました。 |
チューブの長さは1メートルちょっと有るので、寝返りをうってもさほど邪魔になるものではありません。ところが、チューブが付いていると考えるだけで、重りを付けているかのように体の自由を奪われた気分でした。
しかし、結果的にはそんなチューブとも4日程度で、おさらばでした。「さあ、いよいよ明日はチューブが外れるぞ」という前日の夜のことです。いつものように看護師さんがチェックしてくれていると、急に「プシューッ」という音がし始め「えっ?
えっ?」とちょっとびっくりしましたが、音はすぐに鳴り止み、それはほんの一瞬の出来事でした。
どうもチェック中に、何かの拍子でチューブ同士を接続していたプラスチック部分が外れたのが原因でした。元々が脱着式の箇所ですので看護師さんがすぐに付け直せば、元通りなわけです。別に大したことではありませんでした。
ところが「すみません〜」とすまなそうに言ってくれるので、ここは軽く流しておこうと、「いやぁ、どうせ明日には(チューブは)外れるので、ちょっと早めに外してもらってもいいですよ(笑)」と冗談を言ったんです。ところが看護師さん、全然笑ってくれません。何故でしょうか?
後から考えるに、どうもその時の自分に笑顔が足らなかったように思います。つまり、本気で言っていると誤解をされたと気付きました。たまにやるんですよ、自分自身は冗談に笑顔を添えて言っているつもりが、全くの笑顔不足のために誤解されます。日頃からそうですから、この時の看護師さんにしてみれば「この患者さん、大丈夫かしら?」きっとそう思ったに違いありません。
そんなわけで、今も通院中です。
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