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第540回●2013年4月27日(土)

掩体〜物言わぬ証言者」 

 南国市の前浜、高知龍馬空港の南の方の道路を走っていると、
時折不思議な格好の建造物があちこちにあり、目をひきます。

 かまぼこ型のコンクリートの建物で、正面に横長の穴が空いていますが、
みなさん、これが何だかご存じでしょうか?

 これらは「掩体(えんたい)」と呼ばれる遺物です。第二次大戦中、軍の飛行機を攻撃から守る格納庫だったのです。ですから、翼の形に穴が空いています。


 高知龍馬空港の付近は、戦争中 旧高知海軍航空隊がありました。そこに飛行場や滑走路、兵舎があり、飛行機を敵に見つからないように隠す掩体もあったのです。コンクリート製の掩体の上には土が盛られ、さらに芝などを植えてカモフラージュしたため、上空からは単なる小山のようにしか見えなかったそうです。

 (写真は最も大きい4号掩体。幅は42mあります。)

 昭和16年から20年の終戦までに建てられた物が現在も7基残っており、「前浜掩体群(まえはまえんたいぐん)」という名称で呼ばれています。 掩体の向きはバラバラです。同じ向きだと、爆撃された時に全部がダメになるからという理由だそうです。

 保存状態の良いこれらの掩体を南国市の文化財(史跡)に指定しようという運動がすすめられ、2006年に南国市の文化財に指定されました。戦後68年もたちますが、掩体は物言わぬ戦争の証言者とも言えるでしょう。


 掩体は田んぼや畑の中に点在しています。見える範囲にあるので興味を持ってあちこち行こうとするのですが、細いあぜ道を曲がる時には車が脱輪しないよう、結構気を遣います。

 この3号掩体はツタが絡まり手前に木もあって、実に味のある雰囲気です。
ちょうど田植えの頃で、 農家の方が田植えをしておられました。
  興味を持っていくつか回るうちに、掩体を公園にしたものに行き当たりました。
できたばかりらしく、 珍しくて写真に撮っていたら、公園の完成を見にいらっしゃった掩体に詳しい方にたまたま出会い、お薦めの掩体をご案内していただけることになりました。

 

 これは1号掩体と呼ばれるものです。弾痕のある掩体です。
アメリカのグラマン戦闘機から 激しい機銃掃射を受けたそうで、大小合わせて約60個もの弾丸の痕跡が残っています。中に入れてあった飛行機は蜂の巣状態だったとか。

 このコラムでは以前、追手前高校の校長室の弾痕を第198回でもご紹介しましたが、今では弾痕が残る物などほとんど無くなりましたから、貴重なものですね。

 こちらは7号掩体。大湊小学校のすぐ北にありますが、かなり特殊な掩体です。
戦後、後部を打ち抜いて農道と水路を貫通した掩体です。
これは国内でも唯一の特徴だとか。

 飛行場ができる前はこのあたりは三島村という農村だったそうですが、飛行場を作るため村の7割を海軍が有無を言わさず接収し、村は消滅させられました。その前後の様々な経緯から、地元の人々は「軍は国を守るが、国民は守ってくれない」と痛感させられたそうです。

空襲の後、焼け出された人たちがここに住み煮炊きをしたため、天井にはススが黒く残っています。

  戦後になってからは掩体を壊すのに多額の費用がかかるため、地元の人々が飛行場建設以前にあった農道と水路を、掩体を残したまま復活させたそうです。
 戦争の記憶が風化する中、様々な歴史が刻まれた掩体群は平和を考えるために、
今も重要な役割を果たしています。

   前浜掩体壕は、見学者用駐車場が前浜公民館にあります。掩体の説明の看板もあります。グーグルマップで航空写真を最大に拡大すると、凸型の掩体を空から確認することもできますよ。

 
  
高知県南国市前浜1534-1 前浜公民館

 

 

 

 
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