|
(中村 覚) |
|
1月も終わりかけですが、年末の大掃除の続きをちょこちょこやっていました。押し入れの奥は数年来
手付かず状態。 中にあるのは 「使わない物」と相場は決まっているものの、やっぱり 出るわ、出るわ、お役御免の品々。
これを機に潔く捨てましょう、しかしそうは分かっていても なかなか踏ん切りのつかない品も出てきます。 |
「もういらないか? でも まだいるかも・・・」
これの繰り返し。 でも 捨てない事には整理整頓、心機一転となりません。スペース的に問題のない小物については、どうしても悩むなら
また片付けてもいいのですが、その心の有り様が他の物にまで飛び火して、勢いが鈍ります。
ところで、この「もういらないか? でも まだいるかも・・・」 これって 「もういいかい? まぁだだよ」
と かくれんぼの時のやり取りに似てる気がします。使わなくなった物に 昔の思いをしまい込み、いつまでも
いつまでも遊んでいようね。 ちょっと怖い気もしますが。(笑)
とにかく 捨てようとすると、色々な理由で罪悪感が尾ひれのように付いてきます。そこで今回、そんな品々をコラムに取り上げ記録する事で、ちゃんと区切りを付けて
お別れしたいと考えました。
〜ということで、それらをちょっと見てやって下さい。
|
|
まずはこれです。小学4年の時に描いた絵の数々です。保存状態は 端は破れて まあ こんなもんです。表紙に「4の1」と書いてあるので、自分は4年生の時、1組だったのかと再確認しました。こんな事も覚えてないくらいですから、自分で描いたはずの絵も
さっぱりです。 |
|
今、見ると「もっと丁寧に描けよ」と思いますが、授業で描かされた絵なんて、そんなもんでしょうか。名前が張り付けられてなければ、自分の絵ともわからない、そんな絵に思い入れがあると感じるのは、ただの錯覚? |
|
次はこれです。青いグラスに折り紙の花を張り付けた鉛筆立て(?)。
グラスの底には大人の字で昭和59年と書いてあります。どうも これは7歳の時に先生に手伝ってもらって作ったのでしょう。 |
|
もちろん既に何の記憶もなく、絵と同様にこれを見た時も
「お初にお目にかかります」といった具合でした。記憶をたどれば本当はそんな事ないはずですが、脳のキャパを超えた記憶にはアクセスできません。 |
ただ、「よくもまあ、大事に取ってあったもんだな」とは
思います。全部 親のおかげであり、親のお手柄! 我が子の作品を大事に(?)しまった当時を考えると、チクリ
と胸をつっつくものもあります。でも それはグラスを介しての気持ちであって、このグラス自体には
格別 何の思い入れもありません。
|
|
最後に。
袋に入った折り鶴です。
私がまだ小学校に入る前に病気で長期入院した事があります。その時に、親が家で「早く治りますように」と折った物だそうです。実は、私が見るのは初めてでした。こんな物が30数年間、押し入れの奥にあった事にちょっとびっくり。
|
|
テカテカしたビニールで作ってある
小さな折り鶴。 でも普通 折り鶴って、折り紙でしょ? そんなことを考えていると、 このビニールって
もしかして 飴なんかの小さな お菓子の包装紙かも・・・。 作った本人も もう忘れたようですが、多分、そうだと思います。 |
|
息子の病気治癒を願い、お菓子の包装紙で折り鶴!
ん〜 ちょっと気合いが足りませんね(笑)。 それに 鶴は40個近く有るものの、作ってる途中で飽きたのか、
袋に入ったままでした。 数はどうあれ、当初は糸を通して千羽鶴のようにする気もあったはず・・・。
ん〜、道理であの時の入院は長引きました(笑)。 |
数時間かけて、こうやってコラムに書き残しました。
「もういいかい?」 「もういいよ。」 これで綺麗にお別れです。
祟るなよ(笑)。
|