その先生は当時目を輝かせて、「時計台なんかより、僕はずっとこっちに行ってみたい。ずっと光を拒んできた場所には、どんな生物がいるんだろう?」と語っていたものです。当時の私は(そんな怖そうな所よりも、時計台の中に入ってみたい!)という夢を持っていました。屋上も時計台も鍵がかかっていて、おいそれとは入れませんでしたから。
その後、NHKに入り、時の記念日の企画としてこの時計台を取り上げることを提案、念願かなって時計台の中に入ることができました。中は金属の急な階段だけ、時計の機械は拍子抜けするほど小さく、文字盤の直径は両手を広げたくらい(1.6mほど)あったと記憶しています。
この時計台、今の校舎ができた昭和6年に、一緒につくられたものだそうです。(県立高知城東中学校と呼ばれていた時代です。)よく戦争や、南海大地震を無事にくぐりぬけてきたものですね。「南海大地震の時には、時計台が左右に揺れた」という話も聞いたことがあります。
こういう伝説があるほど古い伝統と歴史を持った追手前の校舎。この時計台も、できればずっと残して欲しいものです。
高知追手前高等学校
追手前は、明治の初め頃にその前身ができ、明治11年11月19日に「高知中学校」として独立したのが始まりです。高知の旧制の中学では一番の古い歴史を誇る学校で、その後「高知県尋常中学校」、「第一中学校」と名前が変わり、大正11年から「高知県立高知城東中学校」となったそうです。
昭和23年、「高知県立高知新制高等学校」となり、昭和24年から現在の「高知県立高知追手前高等学校」となりました。以前の記録で見たのですが
、明治期の木造の校舎時代から、やっぱり時計台はあったそうです。日曜市に面した追手筋にあり、追手前=時計台、というイメージは強く県民に浸透しています。
|